第12回 成城に住んだ映画人 Vol.3 


成城シネマトリビア─語り継ぐ映画村─

文:高田 雅彦

1932年、東宝の前身である P.C.L.(写真化学研究所)が
成城に撮影用の大ステージを建設し、東宝撮影所、砧撮影所などと呼ばれた。
以来、成城の地には映画監督や、スター俳優たちが居を構えるようになり、
昭和の成城の街はさしずめ日本のビバリーヒルズといった様相を呈していた。
街を歩けば、三船敏郎がゴムぞうりで散歩していたり、
自転車に乗った司葉子に遭遇するのも日常のスケッチだった。
成城に住んだキラ星のごとき映画人たちのとっておきのエピソード、
成城のあの場所、この場所で撮影された映画の数々をご紹介しながら
あの輝きにあふれた昭和の銀幕散歩へと出かけるとしましょう。

 成城 ‶映画村〟の住人……、今回は小田急線の南側、すなわち東宝撮影所近辺に住んだ映画人をご紹介したい。

 東宝の前身、P.C.L.(写真化学研究所)の創設者である増谷麟と植村泰二が、1961年に設けた研究所施設南側(府下砧村喜多見成城30〜32:のちの成城一丁目)に自宅を構えたのをきっかけとして、所属俳優たちが続々とこの近辺に住み始める。第1回作品『音楽喜劇 ほろよひ人生』(33年)に出演し、P.C.L.生え抜きのスターとなった大川平八郎(のちにヘンリー大川として『戦場にかける橋』に出演)も植村邸から歩いて3分のところに家を持ち、植村家とは家族同然の付き合いを続ける(註1)。亡くなったのも、成城学園正門前にある木下病院だったというから、大川は最後の最後まで東宝と成城に縁深い俳優だったことになる。

植村邸庭先でのホーム・パーティーの模様 写真提供:中江和彦氏
『銀座カンカン娘』の岸井明 イラスト:岡本和泉

 やはり近所(のちの成城二丁目)に住んだ、歌う巨漢俳優・岸井明と高峰秀子(‶デコ〟の愛称は、岸井の命名による)は、エノケンこと榎本健一主演の『孫悟空』(40年:山本嘉次郎監督)やマキノ正博(雅弘)監督の『ハナ子さん』(43年)などで共演、戦後に作られた新東宝映画『銀座カンカン娘』(49年:島耕二監督)では、ともに主題歌を歌っている。この映画の一場面(高峰が犬のポチを捨てに歩く場面)が成城で撮影されているのは、成城ロケを好んだ青柳信雄がプロデューサーだったからに違いない。

 

同作での高峰秀子 イラスト:岡本和泉

 高峰が養母と共に成城に家を持った(東宝から与えられた)話は、自著『私の渡世日記』(文春文庫)に詳しい。奇しくも筆者は、知人に「自分の地所にかつて高峰が住んでいた」と証言する方がおり、この家の場所を特定することができた。するとここは、のちに黒澤明が住んだ家(成城二丁目)から僅か1分のところ! これには、二人の間に潜む深い因縁を感じたところだ。

 前述の写真化学研究所施設(トーキー録音ステージ)は、その後も「東宝撮影所分室」として存続。ここで初代ゴジラの着ぐるみが造られたことは、特撮ファンには良く知られた話であろう。すると、ゴジラの生まれ故郷は成城、ということになるが、ゴジラが成城を襲ったことが一度もないのは、案外そういう理由からなのかもしれない。

 その分室からすぐ近所に家を構えたのは監督の山本嘉次郎。俳優では高田稔、英百合子、北沢彪、入江たか子、伊達里子といった P.C.L. =東宝移籍組が住み始める。高田稔の隣には伊達里子がおり、黒澤明の盟友で音楽家の早坂文雄も一時期、道を挟んだ隣地に住んでいたという。英百合子(『社長』シリーズでは小林桂樹の母親役を務める)が住んだ区画には、ゴジラの生みの親・本多猪四郎監督がいた時期もあり、伊達の地番には、のちに監督の小田基義(黒澤の一年前に入社)(註2)が家を持つこととなる。

 少しのちには、ワンブロック先に宝塚歌劇団在籍時から東宝映画に出演していた八千草薫(当然、谷口千吉監督も)が居住。さらにのちには、団令子、夏木陽介、藤木悠、水野久美(上原美佐、三井美奈と共に‶スリー・ビューティーズ〟としてプッシュ)、星由里子、浜美枝(星と田村奈巳とで‶東宝スリー・ペット〟。今なら大問題か?)、中真千子(若大将の妹・照子役で有名)といった東宝若手俳優たちが住み、ほかにも三船敏郎の飲み友達であった田崎潤(元新東宝)がこの近所に越してきて、三船と揉め事(土屋嘉男が自著で記す〝成城のピストル事件〟)を起こしている。

 さらに、場所は特定できていないものの、P.C.L.主演女優第1号の千葉早智子(成瀬巳喜男と結婚)、月田一郎(山田五十鈴と結婚、娘は嵯峨美智子※のちに瑳峨三智子に改名)、嵯峨善兵(細川ちか子と同棲。東宝争議では中心的役割を担う)など、初期P.C.L.作品で活躍した俳優たちが撮影所周りに集結。この地区の住人で、現役最高齢ピアニストの室井摩耶子さん(成城学園出身)と五丁目の龍野邸(註3)で65年に亡くなった作曲家・山田耕筰も、『ここに泉あり』(55年:今井正監督)に本人役で出演しているので、立派な〝成城映画村〟の一員ということになる。

 仙川沿いにあった東宝撮影所は、いわゆる‶成城台地〟の東南崖下に位置する。その崖上に住んだのが、詩人の北原白秋(註4)、作家の横溝正史と野上弥生子、それに日活で一躍人気者となった石原裕次郎である。野上はこの家で死去。北原には東宝撮影所内にあった煙突を詠んだ短歌があり、自宅から撮影所の様子が眺められたことがうかがえる。探偵小説の横溝先生は、杖を片手に成城の街を散歩なさっている姿をよく拝見したものだ。のちに東宝で映画化されることとなる『病院坂の首縊りの家』のモチーフとなった〝病院坂〟は、横溝邸の西側にあった〝御料林〟の一画に、実際に存在した坂道である(註5)。

 

若き日の石原裕次郎は、成城から調布にある日活撮影所に通っていた イラスト:岡本和泉

 当初、プロデューサー・水の江瀧子邸(やはり成城にあった)に下宿していた石原裕次郎は、日活から東宝撮影所脇の崖上(成城一丁目)に住宅を与えられ、水の江もこの敷地内に家を建てている。石原が、のちに国分寺崖線の崖上に移り住んだことや、同じく独立プロを興した三船敏郎と(グラスを片手に?)『黒部の太陽』の構想を練ったことは前回述べたとおりだ。

 かつてP.C.L.は、撮影所近くにいくつかの社員アパートを持っていた。そのすぐ傍に家を構えたのが、黒澤組で美術を担当した村木与四郎と脚本家・井手雅人である。スクリプターの野上照代や本多猪四郎監督は小田急線の北側から、こちらの二人は南側の地から、黒澤を支えていたことになる。

 この近くを走る「富士見橋通り」沿いに住んだのが監督の青柳信雄、市川崑、深作欣二らに、藤田進、勝新太郎といった俳優たち。いずれも前号で紹介した富士見橋から程近い場所に家があったが、今でも多くの人気俳優・タレントが住まう現役の‶映画人居住区〟であるところが、成城の成城たる所以であろう。

 三回に亘ってご紹介した「成城に住んだ映画人」たち。皆さんも実際に通りを歩いていただければ、当地が‶日本のビバリーヒルズ〟であることを実感していただけるはず。お天気の良い日にでも、一度 ‶成城散歩〟に出かけてみてはいかがだろう?

(註1)植村邸には立派なテニスコートがあり、大川平八郎の弟(立教大学のテニス選手)が植村の娘たちのコーチを務めた。米軍に接収された後、当邸宅には『青い山脈』を作詞した詩人の西條八十が住む。

(註2)小田基義の子息・小田啓義は、のちにジャッキー吉川とブルーコメッツのオルガニストとして活躍する。

(註3)「龍野邸」は、円谷プロの特撮テレビドラマ『ウルトラQ』(66年:TBS系)では一の谷研究所の外観として使用された。

(註4)北原白秋は、山田耕筰と多くの歌曲・童謡を共作しただけでなく、成城学園の女学校校歌も担当。植村邸に住んだ西條八十ともいくつかの楽曲を残している。

(註5)市川崑監督により映画化された際は、成城の‶病院坂〟でなく、世田谷区岡本町にあるドミニコ学園脇の坂道で撮影が行われた。


高田 雅彦(たかだ まさひこ)
1955年1月、山形市生まれ。生家が東宝映画封切館の株主だったことから、幼少時より東宝作品に親しむ。黒澤映画、クレージー映画、特撮作品には特に熱中。三船敏郎と植木等、ゴジラが三大アイドルとなる。大学は東宝撮影所に程近いS大を選択。卒業後はライフワークとして、東宝作品を中心とした日本映画研究を続ける。現在は、成城近辺の「ロケ地巡りツアー」講師や映画講座、映画文筆、クレージー・ソングのバンドでの再現を中心に活動。著書に『成城映画散歩』(白桃書房)、『三船敏郎、この10本』(同)、『七人の侍 ロケ地の謎を探る』(アルファベータブックス)、近著として『今だから! 植木等』(同/2022年1月刊)がある。

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