令和4年のNHK紅白歌合戦は、少なくともドーナツ盤を懐かしむ世代にとっては縁のない歌い手や聞いたことも見たこともないグループばかり。辛うじて出演陣の中で、天童よしみ、石川さゆり、松任谷由実、加山雄三、安全地帯に親しみを感じてしまう年寄りにとって、リモコンに手を伸ばしてしまうのは許されることだろう。「誰? これ?」と思った瞬間、チャンネルサーフィン。家人は老人特有の性癖だと罵りながらリモコンを奪い返すのである。常連歌手が遠退いて久しくなった紅白に魅力がないなどと言うつもりはない。時代の流れとともに華やかな舞台に登場する新しいスターたちや、歌謡ショーのあり様が変わるのは当然のことだ。白が勝とうが赤が勝とうが、ハラハラする歳でもあるまい、と分かっちゃいるけど、ちょっと寂しい年越し前なのであった。
で、紅白といえば小林幸子。あの所嫌わぬ途轍もない豪華なステージ衣装とパフォーマンスを懐かしく思うのはボクだけではないだろう。ことさら彼女の大ファンだったわけではないが、紅白といえば小林幸子の「おもいで酒」が浮かんで条件反射的にウルウルしてしまうのは、実は誰も知らないエピソードがあるからだ。
昭和38年(1963)、小林幸子は9歳のときにTBSテレビの素人のど自慢『歌まね読本』に出演しいきなりグランドチャンピオンとなって、審査委員長の古賀政男にスカウトされたことからプロ歌手としての人生が始まった。翌39年、「ウソツキ鴎」(作詞・西沢爽、作曲・古賀政男)でデビューする。これが瞬く間にヒットし、一躍チビッコ歌手はテレビにレギュラー出演するほどの人気者となった。だが、「天才少女歌手、ひばり二世」とまで呼ばれるのはわずかの間で、以後、鳴かず飛ばず、すっかり名を潜めてしまうのだ。その間、27枚のシングルを発売するものの、28枚目のシングル「おもいで酒」が昭和54年1月25日に発売されるまでのほぼ15年間、ヒットといえる曲に恵まれなかったのである。