「おもいで酒」の発売当初は「六時、七時、八時あなたは…」がA面だったという。B面の楽曲が決まらず、事務所にあった多数のストック曲から選曲しようと検討していた矢先に、歌謡界では無名の作詞・高田直和、作曲・梅谷忠洋のこの曲が小林の元に届く。プロの制作ではないからかえって覚えやすい楽曲だからとスタッフに言われ、小林はデモテープを3回聴くと完璧に覚えたという。すぐにレコーディング、B面の収録となった。かくて昭和54年1月25日、小林幸子28枚目のシングルが発売される。ところが奇跡が起こる。B面の「おもいで酒」が先行して大阪有線放送局で初の総合1位になってしまうのだ。発売元は乾坤一擲、急遽ジャケットと曲順を変更して再発売したのだった。
発売から4ヵ月後にはオリコンのトップ10にランクイン。以後、小林にとっては「ウソツキ鴎」以来の大ヒットとなり、200万枚という記録を残している。TBSの『ザ・ベストテン』(1979年)では、演歌では渥美二郎の「夢追い酒」に次いで2番目に(同年7月19日)ベストテン入り。5月から12月まで30位以内に31週間のランキング入りを果たし、『ザ・ベストテン』の年間ベストテンでは第1位となっている。因みに、第2位は、サザンオールスターズの「いとしのエリー」、第3位渥美二郎「夢追い酒」、つづいて水谷豊「カリフォルニア・コネクション」、ツイスト「燃えろいい女」、さだまさし「関白宣言」などを抑えているのだ。同番組の12月27日の放送に登場した小林幸子は涙を流しながら司会の黒柳徹子に応え、「歌をやめようと思っていたがやめなくてよかった」と述懐するのを見ながら、ボクは数年前の父親との光景を思い出したものであった。この年、第21回日本レコード大賞・最優秀歌唱賞・金賞、第10回日本歌謡大賞・放送音楽賞を受賞した。そして、小林の念願であった、『第30回NHK紅白歌合戦』へ初出場を果たしたのである。
後日談、活躍著しい小林の下へボクは一ファンとして激励の手紙を送ったのは、平成の時代に入った十数年前だったか。「ご活躍の陰にお父様のご苦労もあった」と往時の親父さんとの出会いを書き記したのだった。すると時も経ず、丁重な返礼が届いたのである。
文:村澤 次郎(ライター) イラスト:山﨑杉夫
アナログレコードの1分間45回転で、中央の円孔が大きいシングルレコード盤をドーナツ盤と呼んでいた。
昭和の歌謡界では、およそ3か月に1枚の頻度で、人気歌手たちは新曲をリリースしていて、新譜の発売日には、学校帰りなどに必ず近所のレコード店に立ち寄っていた。
お目当ての歌手の名前が記されたインデックスから、一枚ずつレコードをめくっていくのが好きだった。ジャケットを見るのも楽しかった。
1980年代に入り、コンパクトディスク(CD)の開発・普及により、アナログレコードは衰退するが、それでもオリジナル曲への愛着もあり、アナログレコードの愛好者は存在し続けた。
近年、レコード復活の兆しがあり、2021年にはアナログレコード専門店が新規に出店されるなど、レコード人気が再燃している気配がある。
ふと口ずさむ歌は、レコードで聴いていた昔のメロディだ。
ジャケット写真を思い出しながら、「コモレバ・コンピレーション・アルバム」の趣で、懐かしい曲の数々を毎週木曜に1曲ずつご紹介する。