若い男女の幼い恋から、できなかった大人への恋の脱皮という世界を残しつつ、アップテンポのメロディは、それまでのチューリップとは一味違った曲調で新たなファンの獲得につながった。そんな裏事情は露知らず、私もすっぽりとハマった一人だったのだ。夏休みにボーイフレンドと隣町までスニーカーを買いに行ったが、家に持ち帰れない私は、来年履こうと、彼に預けたのだった。
わがままは…男の罪、それを許さないのは……女の罪。一度聴いたら忘れないサビの部分だが、その頃はそんなものなの? と不思議だった。夏の日の空はどこまでも青く澄んでいて、午後突然夕立がやってくる。そのあとに西の空に虹がくっきりとかかる。まるで映画のワンシーンがありありと目に浮かんでくるのもヒットの一因だろう。
レコード売上げ、有線放送、ラジオ、テレビのベストテンが番組の順位を参考にしたある新聞社の79年9月統計では、1位「銀河鉄道999」(ゴダイゴ)、2位「関白宣言」(さだまさし)、3位「セクシャルバイオレットNo.1」(桑名正博)、4位「カリフォルニア・コンクション」(水谷豊)、5位「おもいで酒」(小林幸子)、6位「虹とスニーカーの頃」(チューリップ)、8位「ポーラー・スター」(八神純子)、9位「しなやかに歌って」(山口百恵)、10位「夜明け」(松山千春)となっており、「虹とスニーカーの頃」は堂々6位にランキングされている。累計で50万枚以上を売上げたようだが、きっとスニーカーも売れたに違いない。
しかし、この曲をレコーディングし、ヒットを見届けたのち、吉田彰と上田雅利が脱退。チューリップ第一期と言われる約8年が終わった。その後、財津はソロ活動や、松田聖子の「夏の扉」「白いパラソル」、沢田知可子「会いたい」、藤井フミヤ「ふたつの青空」などアイドル歌手にも楽曲を提供する。また、俳優としても『メイン・テーマ』(84)、『そろばんずく』(85)、『つぐみ』(90)などに出演して活躍の幅を広げていた。
チューリップは、メンバーの脱退、加入を繰り返し89年に解散したが、97年に再結成。この再結成した時期に、筋金入りの財津ファンの友人に出会い、コンサートに行く機会に恵まれたのだった。「虹とスニーカーの頃」も初めて生で聴くことができた。預けて履くことのないままのスニーカーは、どうなっただろう。戻ることのできないあの頃の情景が浮かんだ。
コンサート会場では、財津と同世代のベストセラー作家の顔も見かけた。そして、熟年世代の観客が総立ちで「心の旅」を合唱していた。最後は「魔法の黄色い靴」だっただろうか。「サボテンの花」「青春の影」「虹とスニーカーの頃」を合唱しながら観客はそれぞれの青春の思い出を重ね、名曲の感動はさらに膨らむのだろう。
迫って来た最後のコンサートを前に、「終わらないで、チューリップ」「ありがとう、チューリップ」と伝えたい。
文=黒澤百々子 イラスト:山﨑杉夫