1980年代前期の8月、僕は毎年のように長崎を訪れていた。福岡からいくつものトンネルを抜けた先に広がるすり鉢状に広がる長崎の街の造りが好きだった。高台から見る鶴が羽を広げたような長崎の港が好きだった。そして8月のお盆の精霊流しを見た。その風景はグレープが歌う「精霊流し」そのままだった。ガールフレンドの視点だろうか、綴られる歌詞が胸に迫る。一人で着るそろいでこさえた浴衣、精霊船に積まれるあなたの愛したレコード、息子を見送る浅黄色の着物を着ている寂しそうなあなたの愛した母さん……
精霊船は山車のように華美で、それが爆竹の破裂音や、鉦の音、掛け声が交錯する喧騒の中を進む。祭りのようなにぎわいに、何も知らずにはしゃぎまわる私の小さな弟の姿が悲しみを増幅させる。そして賑やかな人込みを縫うように進む精霊船の後をついていく。
8月の長崎は悲しい。原爆が投下された8月9日の原爆記念日のせいもあるが、街全体が鎮魂の時間のような気がする。精霊流しという行事が、にぎやかだからこそ、鎮魂の時間がなおさら悲しく、さびしく感じられてしまう。さだまさしが書き下ろした自伝的小説は、テレビ、映画で映像化され、長崎出身の市川森一が脚本を手がけたNHKのテレビドラマ「精霊流し~あなたを忘れない~」には坂口憲二、中村俊介、風吹ジュン、宮崎美子、根津甚八らが出演している。さだ自身も出演した映画『精霊流し』には、内田朝陽、池内博之、松坂慶子、高島礼子、田中邦衛らが出演した。いずれも哀しい作品だったが、それぞれで主役を務めた坂口憲二、内田朝陽の演技が、今でも鮮やかに僕の記憶に刻まれている。
さだまさしが74年の日本レコード大賞作詞賞を受賞した「精霊流し」に続いて同年にグレープ3枚目のシングルとして「追伸」が、翌75年には、4枚目のシングルとして「ほおずき」がリリースされている。いずれも、郷愁を感じさせる美しい旋律に、繊細で美しい選び抜かれた日本語が心地良く響く楽曲だった。また、75年にはクラフトのために書き下ろした「僕にまかせてください」が、島田陽子、近藤正臣が共演した日本テレビ系連続ドラマ「ほおずきの唄」の主題歌になり大ヒットした。同年には、5枚目のシングルとなる「朝刊」がリリースされた。さだまさしの後の大ヒット曲となる「雨やどり」や「関白宣言」につながるような、ほのぼのとした愛のスケッチが描かれた作品だった。
そして、同じく75年11月25日に、グレープ名義ではラスト・シングルとなる「無縁坂」がリリースされた。年老いた母に対する息子の想いを歌った曲で、池内淳子、三浦友和、杉村春子、夏木陽介、白川由美らが出演した日本テレビ系「ひまわりの詩」の主題歌として「精霊流し」以来の大ヒット曲となり、ドラマも高視聴率だった。ロックをやりたかったというさだまさしの意向に反して、大衆は、「精霊流し」「無縁坂」という、しみじみとした情感を感じさせられる曲を好んだようである。
Tくんが亡くなって以来、僕は長崎に行けていない。今年は13回忌になる。そして、今年も8月15日がやってきた。テレビでは長崎の精霊流しの様子が映し出されている。僕の頭の中では、さだまさしの弾くバイオリンのイントロで始まる「精霊流し」が流れ始める。僕はまだ、Tくんに「さよなら」を言えていない。
文=渋村 徹 イラスト=山﨑杉夫