残念ながら、ボニージャックスのメンバーの二人はすでに鬼籍に入っている。ジャズ、黒人霊歌、抒情歌、流行歌、ロシア民謡、フォークロア、日本の童謡、オリジナル曲まで、歌唱の幅は驚くばかりに広く、レパートリーは5000曲以上と言われるダークダックスと拮抗している。左からの立ち位置は、ベースの玉田元康(通称・のぼさん、89歳)、バリトンの鹿島武臣(通称・トラさん、89歳)、セカンド・テナーの大町正人(通称・アッちゃん、2011年7月8日逝去、享年73)、トップ・テナーの西脇久夫(通称・六さん、2021年8月30日逝去、享年85)と低音域から高音域に並ぶ。これはダークダックスの立ち位置とは真逆だ。「ちいさい秋みつけた」はセカンド・テナーの大町がリードしているように聴こえるが、最年少だった彼から先立っているのは皮肉である。もっともダークダックスの最年少の高見澤宏が斃れたのと同様だが。大町は病を得て2003年(平成15)離脱し、吉田秀行が加入してセカンド・テナーを受け持っている。
1963年から3年連続『NHK紅白歌合戦』に出場し、「一週間」、「幸せなら手をたたこう」、「手のひらを太陽に」を歌唱している。なぜか「ちいさな秋みつけた」では出場していない。年末のお祭り騒ぎ的歌謡番組に似つかわしくないと判断されたのだろうか。それはともかくボニージャックスはコンサートやテレビ出演の傍ら1970年代から全国の過疎地の子どもたちに歌を届けようと自費でコンサート・キャラバンをやってきた。なかなか出来ることではないが、1978年には、肢体不自由児施設への訪問コンサートやイベントをはじめ、『車椅子のおしゃべり』と名付けられた活動はメンバーのライフワークになった。施設の子どもたちの詩を歌にしたレコードやCD作品、詩集も発表し、LPレコード『立山にうたう~車椅子のおしゃべり』は、1983年日本レコード大賞企画賞を受賞。また長年にわたる児童福祉や子どもたちへの自立支援の活動は、1997年度・児童福祉文化賞特別賞という形で厚生労働省の中央児童福祉審議会から表彰された。現在は鹿嶌武臣、玉田元康、吉田秀行の3人で、あの優しいハーモニーを奏でつづけている。
サトウハチローは幼少期、脇腹に大火傷を負って、家に籠りがちな子どもだった。ちいさい秋…は、彼の幼少期の体験が書かせた詩だと思える。その一番、部屋から近所の子らの鬼ごっこの声が聴こえ、百舌鳥の鳴声が秋を告げている。二番では、ミルクのような曇りガラスの北向きの窓の隙間から秋の風が入り込んでくる。そして三番のはぜの葉は、櫨紅葉(ハゼモミジ)ともいい俳句では秋の季語。ハチローは火傷の後遺症から外で遊ぶこともできず、悶々と幼少期を過ごしたことだろう。ここで勝手な想像だが、ボニージャックスの子どもたちに歌を聴かせるボランティア活動は、サトウハチローの幼少期の淋しさ哀しみを想ってのことではなかったか。「誰かさん」とはサトウハチローそのものだったと思えるのである。
文:村澤 次郎 イラスト:山崎 杉夫