今回は、井上靖の現代語訳『舞姫』を読みながらその世界に入った。
ドイツに留学し、脇目もふらずに勉学に励んでいた鷗外が、父の葬儀代がないと路上で泣いていたエリスを助けたことから交際が始まった。エリートの鷗外は次代を担うことを期待されている人物。あの時代、二人が一緒になることはまず無理だろう。障害があればあるほど燃え上がるのが恋だろうが、鷗外が帰国するとエリスは狂乱に陥る。鷗外は上官や母親の薦めに従い結婚してしまう。男の狡さを責める人もいるだろうが、鷗外も十分に苦しんで傷ついていたのだろう。
エリスは鷗外を追って日本に来たが、鷗外の縁者に説得され帰国するしかない。エリスにしてみれば恨み辛みも言いたくなるだろうが、阿久悠の詩は、エリスの悲しみや苦しみを美しい表現で的確に描いている。1番では夏、2番では冬という対照的な季節の風景を描き、2部構成で愛の破局を描いてしまう。その風景はエリスのいるベルリンだと思うと感慨深い。原題は、「ベルリン・マイ・ラブ」として書かれたそうだが、「たそがれマイ・ラブ」と改題されリリースされた。
この悲恋物語を、今でも忘れられない一曲として、口ずさんでしまうのは、筒美京平による作曲&編曲の手腕も見逃せない。何か起こりそうな予感のするイントロも印象的だが、「大人の恋」の世界をサラリと甘く切ないメロディに仕立て、聴く者の心に響かせる。さらに、大橋純子の歌唱に聴き惚れているといつの間にか自分も悲劇のヒロインになっているのだ。エリスの心情でありながら、恋する女性の喜びと不安な気持ちは、どこの国でも、どの時代でも通じるものである。
大橋は、小柄で華奢だったが歌声は力強く伸びる高音は日本人離れした歌唱力だった。北海道の夕張市出身で、短大生の頃から北海道大学の軽音楽クラブバンドに所属し、注目を集めていた。そして74年6月にデビュー。77年「大橋純子と美乃家セントラルステイション」として「シンプル・ラブ」をヒットさせ、78年「たそがれマイ・ラブ」は自身最大のヒット曲になった。その後、82年、来生えつこ作詞、来生たかお作曲の「シルエット・ロマンス」では、第24回日本レコード大賞の最優秀歌唱賞を受賞している。「ザ・ベストテン」などの歌番組で、小柄な大橋は隣の出演者たちを見上げ、大きな目を輝かせながら笑顔で会話をしていた姿が思い出される。
翌週の16日には、葬儀・告別式が行われ、松崎しげる、渡辺真知子、松本明子ら多くの仲間たちの悲嘆にくれる姿をみると、大橋の人柄が偲ばれる。ここ何年かはもう一度ステージに立つことを目指し、つらい闘病生活を送っていた。いまは空の上で思いっきり歌っていると思いたい。
気になるのは、エリスのその後だ。ドイツ在住のノンフィクション作家、六草いちかの著書『それからのエリス─いま明らかになる鷗外「舞姫」の面影』によると、最初の妻・登志子と1年で離縁した鷗外は12年近く独身で、エリスとは長い間文通を続けていたようだ。エリスはベルリンに帰ったあとも独身を貫き、鷗外が再婚してから3年後に実業家と結婚し80余年の生涯を閉じた。二人は納得してそれぞれの人生を全うしたのだ。
エリスと大橋純子。二人の女性の人生に思いを馳せた「たそがれマイ・ラブ」だった。
文=黒澤百々子 イラスト=山﨑杉夫