1976年(昭和51)を振り返れば、時の総理大臣、田中角栄が失脚することになるロッキード事件の勃発、高校球児だった松崎しげるが憧れていたプロ野球の王貞治選手がベーブルースのホームラン記録を抜いた年だった。会社のテレビはロッキード事件追及の国会中継をライブ放送していたし、王選手の偉業に国中が沸いた。確かに遠いスペインの音楽祭の話題など、メディアといえばテレビかラジオ、新聞しかなかった時代、取るに足らなかったといえなくもない。意気揚々として帰国した羽田空港に報道陣の姿はなかった。
そればかりか驚くべき事態は、レコード化に待ったがかかったのである。「こんな歌、売れるはずがない」とけんもほろろで、「皆が歌うには難しい曲」と一方的な判断が下されたのである。〝コマソンの松崎〟の受賞に、周囲はあまりにも冷ややかだった。
途方に暮れた松崎は、自らデモテープを持って売り込みに走るが難航する。行く先々で、まさに聞く耳を持たなかった。このまま埋もれてしまうのか、と落胆していた矢先に、かつてチョコレートのCMソングをつくった関西のプロデューサーに「愛の微笑み」を聴いてもらうと、「美しい人生よ~」のサビの部分が気に入ったのか、採用が決まった。ちょうど同じ菓子メーカーのチョコレートのCMソングとして採用されたのだった。結局、コマソン歌手に舞い戻った形だが、現金なものでレコード化も一気に進んだ。「愛の微笑み」は「愛のメモリー」と改題されたのはこの時だった。1977年8月リリースされたのである。あの〝難しい歌〟が瞬く間にヒットチャートに昇り、80万枚の売上げを記録。松崎しげるは、同年の日本レコード大賞歌唱賞受賞、同じく第28回NHK紅白歌合戦で「愛のメモリー」を歌い上げることになる。お堅いNHKがCMソングで紅白出場を許したのはこれが初めてのことだった。CMソングがリリースされ、CMソングからヒット曲が生まれる、そうした現象のはしりになったのが、「愛のメモリー」だったのではあるまいか。
松崎しげる、といえば「愛のメモリー」と反応する一曲だが、これほど長く歌われ聴かれてきた楽曲もめずらしい。2005年、米アップルの音楽配信サービス『iTunes Music Store』が日本での配信が始まった時の取り込み数がナンバーワンに輝いたことで、再び三度「愛のメモリー」がネット上でブームが起きたことは記憶に新しい。新曲が重視される配信サービスにもかかわらず、過去の懐かしい楽曲を買うことを〝シゲる〟と呼ぶのだそうだ。
それにしてもじっと聴き入ると、「愛の微笑み」のCMソングから4年後に結ばれる三浦友和&山口百恵の二人のための楽曲のように思えるから不思議だ。松崎しげるがキューピッドとなったとは言わないが、詞を改めてみると、生涯愛し合うことを誓い、美しい人生をともに生き、死がおとずれて星になる時が来ても、離れはしない、と謳いあげている。40有余年にいたる友和&百恵夫婦の今日を思わずにいられない。
実は、筆者は松崎しげるより5カ月余り早いが、同年生まれ。お先に後期高齢者となったが、彼には年齢(とし)を考えている暇などないのではないか。過日テレビで見たパワー溢れる歌唱は変わりがなかったし、相変わらず日焼けた顔は高校球児時代を彷彿とさせている。日本記念日協会は、毎年9月6日を「松崎しげるの日」と認定しているとは笑ったが、黒い肌の松崎しげるのゴロ合わせとか。黒い肌があせないよう日焼けサロン通いを怠らないようしてもらいたいし、同じ団塊の世代として、まだまだテレビや映画出演を含めて、「マルチエンターテーナー松崎しげる」の活躍を祈ってやまない。
文=村澤次郎 イラスト=山﨑杉夫