31歳となっていた梓は1974年3月、これまでのイメージから脱皮できる楽曲と巡り合うことになる。「二人でお酒を」がリリースされたのだ。作詞:山上路夫、作曲:平尾昌晃によって、梓みちよは〝大人の女〟として驚くべき変身を遂げる。山上路夫は、某紙のインタビューで、「まさに計算尽くしで書いた詞だった」と告白している。歌い手に新たな世界を示して、売れる曲を作るのが作詞家の仕事であり、いわば現代のプロデューサーに近かったという。言わずもがな、清純な「お姉さん」のイメージが浸透していた梓みちよに再び売れる曲を提示することが求められ、提案したのが「お姉さん」から「大人の女」への転換だった。梓は酒が好きだったため、前面に酒を飲む大人の女性を押し出したのだ。当時、ポップスの世界ではまだ女性が酒を飲む場面の描写はタブー視されていたようだ。「百八十度変えるくらいのことをやらないと、と考えた結果だ」と山上は語っている。女、酒、別れとくればジメジメとした演歌かと思いきや、アップテンポな明るいポップス風の楽曲に仕上げたのはさすが平尾昌晃である。「こんにちは赤ちゃん」のお姉さんが、恨みっこなしで、別れましょうね、淋しくなったら、二人でお酒を飲みましょうね…何と!気風のいい姐御肌の女に生まれ変わったのである。
かくて、1974年のオリコン年間ヒットチャートで第18位にランクインし、第25回NHK紅白歌合戦に再出場を果たしたのである。年末の歌謡賞レースでは、「第5回日本歌謡大賞・放送音楽賞」、「第16回日本レコード大賞・大衆賞」、「第1回FNS歌謡祭・(上期)特別賞」という記録を残した。
テレビ番組やステージで1番の歌詞を歌い終えると、床に胡坐をかいて歌唱する梓みちよのパフォーマンスには驚かされたことだろう。女だてらに、との批判を承知で堂々たる変身を自ら表現して見せたのだった。前述の通り5年ぶりにカムバックした紅白でのシーンが忘れられない。次の出番の南沙織以外のほぼすべての紅組出場者たちが、梓みちよを囲むようにして胡坐をかいたり段上に腰掛けたりして手拍子で応援したのには、思わずホロリとさせられた。この楽曲以後だったと思われるが、きれいさっぱりショートヘアに変身していた梓みちよは、時が経つにつれ、さっぱりした物言いと気風の良さから、芸能界の〝姐御〟のような存在感を示すようになっていたのだった。
因みに、「こんにちは赤ちゃん」を封印してから、再び梓みちよが歌唱したのは、2002年のデビュー40周年コンサートのアンコールの最後だった。封印を解いたきっかけは、「40年もかかって、心からこの歌の素晴らしさが理解できた」と告白し、「世に出たきっかけの楽曲を大切にしようという気持ちになれた」と語っている。また、アメリカツアーの折、リクエストに応えて「こんにちは赤ちゃん」を歌うと、日系一世、二世の人たちが涙を流しているのを見て(封印してきたことを)後悔したからだとも語っている。姐御に優しい涙が伝った瞬間である。2020年1月29日没、享年76。
文:村澤 次郎 イラスト:山﨑 杉夫