以下、あえて作詞をボクの勝手な意訳、解釈ではこうなる。
―—冷たい雨の降る夜明けの停車場で君に別れを告げるつもりじゃなかったんだ、君にここでさよならを言ってひとり旅に出る俺は悪い奴だよな、いいかい、嫌いじゃないんだよ、別れたくないんだよ、でもなぜか、今のしあわせを捨ててしまう、俺自身が分からない、君に罪はない、罪はないんだからね、雨に濡れていないで、早くお帰りよ、さよなら。——
何か志しがあるように見せて、男が女から逃げてゆく言い訳だけの勝手といえば勝手な詞ではある。一方的で酷(むご)い別れ方である。モテたいと願う世の男たちは、カラオケ・スナックなどで別れを臭わせながら、実は女性を口説くにはぴったりの楽曲だったのではあるまいか。
という次第で、紅白では白組司会のベテラン宮田輝にして、「イシバシ…」と呼んでフルネームを思い出せなかったが、お蔭で「夜明けの停車場」と石橋正次がつながったのだった。当時のクラウン・レコードは、北島三郎、西郷輝彦、小林旭ら男っぽく土臭い男性歌謡で売っていたが、石橋正次はその系統にあったのだろう。男の身勝手さがまかり通った楽曲にもかかわらず、哀愁漂うメロディーが覚えやすく、カラオケの流行と軌を一にした大ヒットだったに違いない。衣装からして王子様のようで中性的なGS(グループ・サウンズ)の反動だったような気もする。
振り返れば、中高校生時代のGSの熱狂が去った後の同世代のボクは、歌謡曲そのものから遠ざかっていた。ポストGSを背負った1970年代の初頭には、森田健作、太川陽介、渋谷鉄平らスポーツ万能的な運動部の明朗男子タイプに始まって、にしきのあきら、野村真樹、本郷直樹、沖雅美、平浩二、桜木健一、あおい輝彦、富田ジョージ…ちょっと趣が違うが三善英史ら男性アイドルが次々と登場していた。間もなく、野口五郎、西城秀樹、郷ひろみの新御三家が女性ファンの心をつかんでいった。反戦フォークソングを知るボクら世代の好みに適わなかった、とでも言っておこう。この時代多くのサラリーマンがそうであったように、夜な夜な歌謡番組を観たり女子たちがキャーキャーと叫ぶ歌謡曲を聴いたりする暇などなかった。ただ、わが昭和歌謡にあえて取り上げたかったのは、石橋正次という歌手のふてぶてしさに魅力を感じ、やたらと愛嬌を振りまくことがなかったからかも知れない。わずか8年間の歌手として19枚のシングルをリリースし、9枚のアルバムを残しているが、後にも先にも「夜明けの停車場」は石橋正次の代表作であることに間違いない。76歳の彼は現在も舞台を中心に活躍していることは伝わっている。
余談中の余談だが、東京宝塚劇場で10年連続して紅組トリ2回、大トリを8回飾っていた美空ひばりが、NHKとの関係が悪化したと伝えられ、皮肉にもNHKホールに会場が移っていった翌年には、出場に選ばれなかった。以後、NHKからの再三のオファーがあったと聞くが、特別出演枠として復活するまで7年を経過している。会場の変遷から辿ってみると歌謡界にも大きな変化があったエポックメーキングの年だったのである。
文=村澤次郎 イラスト=山﨑杉夫