アナログレコードの1分間45回転で、中央の円孔が大きいシングルレコード盤をドーナツ盤と呼んでいた。
昭和の歌謡界では、およそ3か月に1枚の頻度で、人気歌手たちは新曲をリリースしていて、新譜の発売日には、学校帰りなどに必ず近所のレコード店に立ち寄っていた。
お目当ての歌手の名前が記されたインデックスから、一枚ずつレコードをめくっていくのが好きだった。ジャケットを見るのも楽しかった。
1980年代に入り、コンパクトディスク(CD)の開発・普及により、アナログレコードは衰退するが、それでもオリジナル曲への愛着もあり、アナログレコードの愛好者は存在し続けた。
近年、レコード復活の兆しがあり、2021年にはアナログレコード専門店が新規に出店されるなど、レコード人気が再燃している気配がある。
ふと口ずさむ歌は、レコードで聴いていた昔のメロディだ。
ジャケット写真を思い出しながら、「コモレバ・コンピレーション・アルバム」の趣で、懐かしい曲の数々を毎週木曜に1曲ずつご紹介する。
小川知子の「初恋のひと」を聴くと、人気歌謡番組「夜のヒットスタジオ」を思い出す。1969年2月24日の生放送に出演していた小川知子。彼女の歌の番になって、司会の前田武彦と芳村真理が1本のカセットテープを渡す。そこには、2月12日のテスト走行中に25歳で事故死した、カーレーサーでファッションモデルの福澤幸雄が、以前〝夜ヒット〟に出演していた当時恋人関係だった小川知子にかけてきた電話の声が録音されていた。小川はテープを胸に抱きしめ、「初恋のひと」を歌い始めるが、2番に入ると、涙があふれ歌にならない。一緒に出演していた中村晃子が「知子ちゃん、泣くのやめなさいよ」と、いしだあゆみと一緒に両脇で支えるが2人ももらい泣きしてしまう。このシーンは、テレビの名(迷?)場面として、今も伝説的に語り継がれている。
福澤幸雄のことを紹介しておくと、福沢諭吉の曾孫という血筋で、端正な容姿、レーサー、ファッション界という最先端で活躍するトレンドリーダーであり、すべてが〝良質〟と讃えられる男性だった。当時、〝日本で一番カッコいい男〟と、週刊誌の見出しを飾るほどだった。芸能人や文化人のサロン的存在だった、東京・飯倉のイタリアンレストラン「キャンティ」の常連であり、小川知子との出会いもキャンティだったという。恋人の死から2週間足らずでの生放送である。〝泣かせる〟演出をしたとしか思えない。「初恋のひと」はこれを機に、急激にセールスを伸ばすことになった。