それにしても歌手・奥村チヨという女性(ブラウン管を通してだけだが)、本当ならもっと純情な初心(うぶ)な18歳の乙女にふさわしい歌を歌いたかったのではないかなと、しばらく経ってから過(よぎ)ったことを覚えている。同時代の「東芝三人娘」、本シリーズ前回登場の小川知子は「初恋のひと」を歌いながらおいおい泣いて歌にならなかったほど初心だったし、「恋のハレルヤ」で再デビューした黛ジュンは、天性の明るさとパンチの利いた歌声で若さハツラツが売り物だった。しかし、なぜか奥村チヨは「ごめんネ…ジロー」が引き金になったのか、いつも男にひれ伏す従属的な女の歌を歌って似合う女性になってしまった。デビュー当時からコケティッシュながらどこか官能的な雰囲気がそうさせたのか、二つ年下の色気づき始めたボクは、いやらしい妄想さえ抱いてしまうほどだった。その彼女がひざまずいて、詫びているのだから、たまらない。あんなに愛くるしい女の子を、昭和の大人の男たちの悪い魂胆に嵌まらせたのだった。
「ごめんネ…ジロー」は、男に去られた後で本当は「ジローが好きだったんだ」と気づいたものの、手遅れになったという切ない恋愛告白の歌なのである。その心情は、「ジロー、今まで無視してごめんね、好きだとは言えなかったの、でも、本当は、私のすべてはあなたのもの、許してちょうだい……」。もう徹底的にジローを奉ってくれている。
それかあらぬか、昭和44年(1969)、なかにし礼作詞の「恋の奴隷」ヒットの余勢を駆って、「恋狂い」、「恋泥棒」と「恋三部作」がなかにし作詞で大ヒット。「恋の奴隷」などは歌詞の一部がお堅いNHKの内部規制に抵触すると、紅白歌合戦では「恋泥棒」を歌ったのだった。ごめんネ…ジロー、とひたすら謝って、男が受け入れてくれたら、恋の奴隷となってあなたに仕え、あなた好みの女になって、ひれ伏す女になる。制作に携わっていた東芝レコードの男どもとなかにし礼は徹頭徹尾、女を足蹴にして、すがり付かせる、マゾヒスティックにも程があるが、奥村チヨは女性として屈辱を耐え忍んで歌っていたのではないだろうか。それより何より、昭和の男たちはどんどん弱体化してゆく男の権威の反動で女をひざまずかせる快感を楽しんだのではないか。ジェンダーギャップが叫ばれる時代、許されざる恋三部作となったことは言うまでもない。やがて、女の屈辱から逃げるように昭和46年(1971)「終着駅」を歌い、一人で生きる女となって過去を捨てる大変身を遂げるのだった。これは作詞・千家和也、作曲は、夫、浜圭介による。
文=村澤 次郎(ライター)