アナログレコードの1分間45回転で、中央の円孔が大きいシングルレコード盤をドーナツ盤と呼んでいた。
昭和の歌謡界では、およそ3か月に1枚の頻度で、人気歌手たちは新曲をリリースしていて、新譜の発売日には、学校帰りなどに必ず近所のレコード店に立ち寄っていた。
お目当ての歌手の名前が記されたインデックスから、一枚ずつレコードをめくっていくのが好きだった。ジャケットを見るのも楽しかった。
1980年代に入り、コンパクトディスク(CD)の開発・普及により、アナログレコードは衰退するが、それでもオリジナル曲への愛着もあり、アナログレコードの愛好者は存在し続けた。
近年、レコード復活の兆しがあり、2021年にはアナログレコード専門店が新規に出店されるなど、レコード人気が再燃している気配がある。
ふと口ずさむ歌は、レコードで聴いていた昔のメロディだ。
ジャケット写真を思い出しながら、「コモレバ・コンピレーション・アルバム」の趣で、懐かしい曲の数々を毎週木曜に1曲ずつご紹介する。
昭和32年(1957)発売された「東京だヨ おっ母さん」(唄 島倉千代子)を聴きながら涙が流れたのはずっと後のことだった。以来パブロフの犬のようになって島倉千代子さんのこの歌を聴いていると涙が滲むようになった。なにせ筆者は当時まだ8歳、「東京だヨ おっ母さん」の意味も分からず、「おっかさん」と呼べば、間違いなく叱られると思っていた。「おかあさん」「かあさん」と呼んでいたはずだ。とても「おっかさん」などと呼ばない、呼べない。歌詞にある、二重橋も九段坂も浅草も、城北の下町育ちには遠かった。その歌謡曲が、後年、胸に沁みるのは母の思い出にまとわりつく「冷やし中華」なのである。
母親を歌う歌は数多ある。夜なべをして手袋を編む母、雨になる日には傘になるおふくろさん…と歌われているが、母の手をひいて東京見物をする姿が、自分に重なるのは島倉さんの「おっ母さん」しかない。