レジャー・ブーム到来と言われた1961年、スキー人口が年間100万人を突破し、72年の札幌オリンピックをきっかけに、戦後最大のスキー・ブームが到来した。
87年公開の映画『私をスキーに連れてって』のヒットもブームに拍車をかけテニスと並びスキーは大学のサークルでも一番人気で93年の最盛期にはスキー人口は1860万人まで増加した。
国鉄末期の86年にはスキー臨時列車「シュプール号」も運転を開始し、さらには寝台特急「北斗星トマムスキー/ニセコスキー」も運行した。週休二日制が一般化された時期とも重なり、夜行列車や夜行バスを利用してスキー場に向かう客が増えたのだ。
90年前後には修学旅行先がスキー場という学校もあった。
90年代後半ともなると、ゲレンデにはスノーボーダーたちが増加しスキー・ブームも鎮静化することとなる。それはバブルの崩壊の時期でもあった。
スキー・ブームは、まさにバブルの象徴だった。
スキー・ブームがあった頃
ゲレンデに遊ぶ若者たち
文=川本三郎
昭和の風景 昭和の町 2019年1月1日号より
昭和になって急速に普及したスキー
……山は白銀(しろがね)、朝日を浴びて……風切る早さ
ウィンター・スポーツの雄、スキーというとまずこの童謡「スキー」(作詞・時雨音羽、作曲・平井康三郎)を思い浮かべる。
子供の頃によく歌った歌なので戦後の歌かと思いきや、調べると、昭和十七年(一九四二)、戦時中に作られたというので驚く。
考えてみれば、日本で広くスキーが楽しまれるようになったのは昭和に入ってから。
スキーはまず明治になって日本に紹介された。
明治末に、オーストリアの軍人が新潟高田(現在の上越市)にあった歩兵連隊で教えた。これはストックが一本の方式だったという。
他方、やはり明治末に、スイスの教授が札幌の大学で生徒に、ストック二本の方式を教えた。日本ではこちらが主流になっていった。
日本は北海道、東北、上信越と冬は雪が多い。そのためにスキーは急速に広まり、昭和に入って広く普及していった。
昭和六年(一九三一)には「スキーの唄」(作詞・島田芳文、作曲・古賀政男)が作られヒット曲になった。
……胸にさらさら 粉雪小雪 若いスキーヤーの 若いこの胸 血は踊る
歌がヒットしたので、翌七年には同名の映画になっている。この頃からスキーが人気スポーツになっていることが分かる。