スキーの映画で早い例に、小津安二郎監督のサイレント映画『若き日』がある。昭和四年(一九二九)の作品。
早稲田大学の二人の学生(結城一朗、斉藤達雄)が、冬、新潟県赤倉のスキー場に出かけてゆく。ゲレンデに行くと、スキー部の連中が滑っている。この時代、大学にもうスキー部があるのには驚かされる。
ゲレンデにはさらに若い女性(松井潤子)も滑っている。二人の学生は、たちまちその美しい女性に目が行ってスキーどころではなくなってしまう。
『若き日』は現在、DVDになっていて、戦前昭和のスキー場の様子がうかがえる。
川端康成の『雪国』は、作中に舞台となる場所が明示されていないが、川端の随筆などから越後湯沢が舞台と分かっている。
主人公の島村は冬、ここの温泉宿を訪れる。まだ冬のはじめで雪は少ない。そこでこんな文章がある。
「スキイの季節前の温泉宿は最も客の少ない時」。
ということはスキーの季節になると客が多くなる。宿では季節を前に物置から客用のスキーを出してきて干し並べている。宿の近くの田園では村の子供たちがスキー客より早くスキーに「乗って」いる。カフェには「スキイ季節を目指して早くも流れこんで来た女給」がいる。
『雪国』は昭和十二年の作品。2・26事件があった翌年。そんな、次第にきな臭くなっている時代だが、雪国ではにぎやかにスキーの季節を迎えようとしている。
上野からスキー場へ向かうスキー列車
『ノンちゃん雲に乗る』で知られる作家・翻訳家の石井桃子(一九〇七~二〇〇八)は若い頃、スキー好きだった。
尾崎真理子の『ひみつの王国 評伝石井桃子』(新潮社、二〇一四年)によると、戦前、編集者をしていた頃の若き石井桃子は、同世代の知的青年たちと「シー・ヨードラー」というグループを作っていたという。昭和十年代のこと。
「シー(schi)」はドイツ語でスキー。「ヨードラー(jordler)」はヨーデルを歌う人。このグループは、春はピクニック、夏は海や山、そして冬はスキーを楽しんだ。
グループの創立メンバーには旧制東京高等学校の都会育ちの青年たちがいた。この学校は新潟県の妙高高原の池平スキー場に寮があり、そこでスキーを楽しんだという。
石井桃子の自伝的長編小説『幻の朱い実』(岩波書店、一九九四年)には、当時のスキー好きを評する「スキー・マニア」という言葉も出てくる。次第に世の中が戦争へと向かってゆく昭和十年代に、まだスキーを楽しむ青年がいたとは。
『幻の朱い実』には、主人公の明子が、その「スキー・マニア」たちが、冬、上野駅からスキー場に向かうのを見送る様子が描かれている。それが、現在のラッシュアワーのような混雑。
「汽車がはいってくると、声を嗄か らした駅員の制止もものかは、入口に突進するための、想像を絶する猛烈な肉体と肉体とのぶつかりあい、はじかれた豆のように車内にとびこんだものは、仲間の席を確保するため車内をとびまわり、スキーやリュックは窓から放りこまれた」
戦前にこんなスキー・ラッシュがあったとは驚かざるを得ない。昭和十七年に……すべるスキーの風切る早さ……と「スキー」が作られるのも、こうしたスキー・ブームの余韻があったからだろう。