少年も女学生も恋人たちも夢を見た映画館
大正十二年(1923)に浅草に生まれた池波正太郎が映画が好きになり、浅草の映画館に通うようになるのは『濹東綺譚』とほぼ同じ時期。たとえば池波少年は大晦日に祖母から小遣いをもらうと、友達とまず浅草へ行き、映画館で映画を見る。それから並木の藪に行って年越しそばを食べ、それからまた別の映画館に行く。池波正太郎は映画好きで知られていたが、その下地は子供時代の浅草で作られている。
昭和二年(1927)、東京の日暮里生まれの吉村昭は回想記『昭和歳時記』(文藝春秋、平成五年)のなかで、「少年時代、私は映画に熱中し、週に三、四回は映画館に足をむけた。東京の下町では、どの町にも四つか五つの映画館があった」と書いている。昭和十年代、吉村昭の生まれ育った日暮里の町にも映画館が四つもあったという(現在はひとつもない)。
この時代、女学生も映画を見る。
北杜夫の『楡家の人びと』では楡家のひとり、藍子という東洋英和女学校に通う女子学生が当時、ひとつの頂点に達した数々のフランス映画をよく見ている。
ジャン・ルノワールの『どん底』、ジュリアン・デュヴィヴィエの『我等の仲間』『舞踏家の手帖』『望郷』レオニイド・モギイの『格子なき牢獄』など。
「その大部分を一回ならず藍子は観賞し、ルイ・ジュヴェの男爵に、ジャン・ギャバンの親分バリーに、いたく変化し易い時期にある彼女の心は、宝塚少女歌劇を見るよりも更にこそばゆくゆさぶられた」。
日中戦争の頃、昭和戦前の最後の映画の輝きといえよう。
戦争が終り、戦後再び映画は盛んになる。
市川崑監督の『恋人』(昭和二十六年)は明日結婚式を挙げることになっている久慈あさみ(小田急線沿線の成城学園駅あたりに住んでいる)が、幼なじみの池部良を誘い、独身最後の夜を一緒に過ごす物語。
二人は銀座に出て映画を見る。
メロドラマの名作、マービン・ルロイ監督、ロバート・テーラー、ヴィヴィアン・リー主演の『哀愁』(40年)。二人は本当は愛し合っているが、とうとう最後までその気持ちを伝え合えないで別れてゆく。
それでも映画をみている時だけは恋人どうし。映画をカップルで見る。これだけは現在も続いているのではないか。
かわもと さぶろう
評論家(映画・文学・都市)。1944 年生まれ。東京大学法学部卒業。「週刊朝日」「朝日ジャーナル」を経てフリーの文筆家となりさまざまなジャンルでの新聞、雑誌で連載を持つ。『大正幻影』(サントリー学芸賞)、『荷風と東京『断腸亭日乗』私註』(読売文学賞)、『林芙美子の昭和』(毎日出版文化賞、桑原武夫学芸賞)、『映画の昭和雑貨店』(全5 冊)『我もまた渚を枕―東京近郊ひとり旅』『映画を見ればわかること』『銀幕風景』『現代映画、その歩むところに心せよ』『向田邦子と昭和の東京』『東京暮らし』『岩波写真文庫 川本三郎セレクション 復刻版』(全5 冊)など多数の著書がある。