明治・大正期の文豪が愛した、犬の物語
犬が番犬や猟犬というより、ペットとして飼われるようになったのは近代になってからではあるまいか。
〽ポチはほんとに可愛いな
の歌詞がある唱歌「犬」が作られたのは明治四十四年(1911)年だから、この頃から、犬を飼う習慣が始まったのではないか。
近代の小説で、最初に犬が登場するので知られるのは明治四十年(1907)に発表された二葉亭四迷の自伝的小説『平凡』。
少年時代の二葉亭がある夜中、犬の啼き声で目を覚ます。捨て犬らしい。玄関の格子戸を開けると、生れて間もない赤ちゃけた子犬が尻尾を振って、こちらを見上げている。
幸い、母親も「まあ、可愛らしい」と言ってくれたのでこの犬を飼うことが出来る。ポチと名前を付けて可愛がる。少年と犬のあいだに〝友情〟が生れる。
しかし、のちに野犬狩りにあってポチは殺されてしまうが。
ポチという名前はフランス語のプティ(小さい)からとられたと思われるが、唱歌「犬」の名前もポチだったように、昔は、犬の名前といえばポチが定番だった。
有島武郎に『家事とポチ』(大正十一年)という童話がある。
「僕」の家では大きな犬を飼っている。名前はポチ、冬の寒い晩、「僕」はポチが吠える声で目を覚ます。気がつくと家は火事になっている。ポチは吠え続け、家族みんなを起こす。
おかげで家族全員が助かるのだが、みんなを助けたポチは死んでしまう。犬の死が「僕」の悲しい思い出になる。
二葉亭四迷『平凡』のポチの死がそうだったように、それだけ犬が大事にされていることが分かる。
夏目漱石というとすぐに猫を思い出してしまうが、この文豪は犬も飼っていた。
随筆『硝子戸の中(うち)』(大正四年)によれば漱石は友人から子犬をもらい、それを可愛がった。名前はへクター。『イリアッド』に出てくる勇将の名から取った。ポチに比べると立派だ。
そのヘクターがあるとき、行方不明になってしまう。一週間ほどたって、近所の人が、その家の池に死んだ犬が浮いていると知らせてくれる。ヘクターだ。
漱石は庭に墓を作ってやり、小さな墓標に一句書く。「秋風の聞こえぬ土に埋めてやりぬ」。夏目家でも犬が大事にされていた。