読書と並び「レコード鑑賞」が趣味としてポピュラーだった時代があった。その場合レコードとは主にクラシック音楽をさしていた。レコードやソノシート付で音楽全集が出版された時代もあった。それは一般家庭にもステレオがある程度浸透しはじめた時期に重なるのかもしれない。そうはいっても、まだ昭和30年代、40年代には庶民にはステレオは高価な存在で、応接間に家具として大きなステレオがあるのは、裕福な家庭である。応接間に通した客人をクラシックのレコードをかけてもてなすことは、あの時代のハイクラスの日常的なスケッチだった。中学生や高校生たちはもっぱらステレオがある友達の家でレコードを聴く時間を楽しんだ。そんな懐かしい風景は古い日本映画の中にも見ることができ、当時、いかに人々がクラシックに親しんだのかがわかるのである。
昭和の風景 昭和の町 2010年4月1日号より
クラシック音楽に親しむ
レコードも電蓄も贅沢だったあの頃
文=川本三郎
ラジオでクラシックを聴いていた『陽のあたる坂道』の裕次郎
クラシック音楽が家庭で広く親しまれるようになったのはLPレコード(長時間レコード)が発売された昭和二十六年(1951)のあとからだろう。
昭和三十一年に公開された石坂洋次郎原作、田坂具隆監督の『乳母車』には、こんな場面がある。
東京の出版社の要職にある宇野重吉はクラシック好き。鎌倉の家に帰ると、大きなプレーヤーでLPのレコードを聴く。聴いているのは、ラロの「チェロ協奏曲ニ短調」。
この時代、自宅にプレーヤーを備えているのは相当な金持だろう。まだ高価だったから誰でも買えたわけではない。
昭和三十四年公開の同じく石坂洋次郎原作、田坂具隆監督の『若い川の流れ』では、金持のお嬢さん芦川いづみが自分の部屋にプレーヤーを持っている。クラシック好き。
ある時、やはりクラシックの好きな男友達の小高雄二を「ショスタコーヴィチの新しいLPを手に入れたよ」といって自分の部屋に誘う。そして二人で「ヴァイオリン協奏曲第一番」を聴く(片山杜秀『音盤博物誌』(アルテスパブリッシング、08年による)。
『乳母車』も『若い川の流れ』も主演は石原裕次郎。残念ながらクラシックを聴く場面はない。ところが同じく石坂洋次郎原作、田坂具隆監督の昭和三十三年の『陽のあたる坂道』では田園調布に住むお坊ちゃんの石原裕次郎が自分の部屋でクラシックを聴く。
ラジオから流れてくる曲はシューマンのピアノ曲「蝶々」。まだ若いからさすがにプレーヤーは持っていない。ラジオでクラシックを聴くというのが若者らしくていい。