昭和の子供たちは、銭湯で人情を知り行儀マナーを教えられた

銭湯は、その町を雄弁に語る

 銭湯が大好きだった詩人、田村隆一の『ぼくの憂き世風呂』(集英社、80年)によると公衆浴場としての銭湯が生れたのは天正十八年(1590)、大阪でだという。一年おくれて江戸にも出来た。大阪では「風呂屋」、江戸では「湯屋」と言った。

 現代の銭湯の形が整ったのは二十世紀のはじめの頃。大正期、関東大震災のあとにタイル張りの浴槽が普及したという。

 田村隆一は大の銭湯好きでビニール袋にタオルと石鹸とカミソリを入れ、どこに行くにもいつも持ち歩き、町でよさそうな銭湯を見つけると片っぱしから入ったという。「見知らぬ町に行ったら、まず銭湯に入ってみることです」とも言っている。銭湯は何よりその町をよく語ってくれるから。

 ひいきの銭湯はあちこちにあったというから本当の銭湯好きだ。「小さな漁港、城下町、戦災をまぬがれた日かげの町などに昔ながらの銭湯─―名実ともに銭湯という空間を散見することがある」とも言っているところを見ると旅に出て銭湯に入っていたようだ。

『銀座八丁』や『日本三文オペラ』で知られる昭和の作家、武田麟太郎も銭湯好きで、よく通りすがりの銭湯に飛び込んだ。

 昭和の文人、斎藤緑雨も銭湯好きで、一日とて湯を欠かしたことはなかった。安い入浴料で「快」を得ることが出来る。こんないいものはないと銭湯を、そして銭湯文化を絶賛した。実際、銭湯文化が発達したのは世界でも日本くらいだろう。

 齋藤緑雨の親友に幸徳秋水がいた。こちらは大の入浴嫌い。これに手を焼いた秋水の奥さんは、それとなく緑雨の家に遊びに行くようにすすめた。緑雨の家に行くと誘われて一緒に銭湯に行くので奥さんは大喜びだった(吉野孝雄『飢は恋をなさず─斎藤緑雨伝』)。

 男どうしが連れ立って銭湯に行く。湯を楽しみに行く。夏目漱石の『三四郎』では、明治の末、福岡から東京に出て来た大学生の三四郎が敬愛する広田先生と一緒に本郷あたりの「湯」に出かけて行く。湯から上がって身長を測り合うあたりは微笑ましい。

下町では銭湯も楽しいおでかけ

 谷崎潤一郎は回想記『幼少時代』のなかで東京の下町でいかに銭湯が愛されたかを書いている。「以前は下町では大部分の人が銭湯を浴びにいったもので、余程の家でなければ自宅に湯殿を持っていなかった。私の親類じゅうでは、活版所にだけは湯殿があったが、仐(かさじゅう)のような米屋町の一流の家でも、伯父を始め家族も奉公人も全部銭湯──普通銭湯と云わないで『湯屋(ゆうや)』と云った─へ這入りに行った」

 前述したように下町では内湯は珍しく、たいていの家では銭湯に行った。家を出て町なかの銭湯に入りにゆく。それが楽しいおでかけになったのだろう。

 谷崎潤一郎の実家は兜町に近く米相場を印刷していた。株屋も銭湯を大いに楽しむ。獅子文六原作、千葉泰樹監督の『大番』(57年)は、昭和のはじめ、四国の宇和島の在から東京に出て来て、株屋になるギュウちゃん(加東大輔)の物語。  

 株屋で働くことになるのが、山だしで身体が汚い。そこで主人がまず「おい、誰かこの男を湯に連れていってやれ」。先輩(仲代達矢)が近所の銭湯に連れていってくれる。

 生まれてはじめて銭湯に行ったギュウちゃん、大きな湯舟、たっぷりの湯、それに富士山のペンキ絵に感動してしまう。銭湯がいかにいいところだったか。

板橋の常盤台で銭湯を営む一家の母と息子たち。昭和29、30年頃創業時の写真。湯舟は小判風呂といい関西に多い浴槽の形である。『日本の物価と風俗130年の歴史』によると、昭和28年の入浴料は15円で、昭和32年には1円上がり16円になっている。写真提供:タカラ湯

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