バスの車掌が輝いていた昭和という時代
昭和に入ると地方でもバスは増えてゆく。
昭和十六年に作られた高峰秀子の少女時代の映画、成瀬巳喜男監督『秀子の車掌さん』(原作は井伏鱒二)の『おこまさん』)では高峰秀子が甲州の田舎町を走る小さなバスの車掌。
バスが自宅前に来ると、降りて家に戻って靴を履きかえてきたりする。のんびりしている。客が少ないからこれでもいいのだろう。
もっともあまりに客が少なく、なんとかしなくてはと、高峰秀子が運転手の藤原釜足と相談して観光ガイドをすることにする。といっても路線バスだから観光名所など通らないのだが。田舎のバスは経営が大変だ。
これは戦後の歌だが、昭和三十年には中村メイ子が〽田舎のバスはオンボロバスよ……と歌った「田舎のバス」がヒットした。それだけバスという乗り物が親しまれていたことになる。バスがオンボロなのにお客が文句をいわないのは「私」が美人だからと中村メイコは歌うが、確かにバスの車掌はこの時代の花だった。
小津安二郎の昭和三十七年の作品『秋刀魚の味』には、『仲間たち』の浜田光夫と同じようにバスの車掌が好きになる若者が出てくる。
婚期の遅れた娘の岩下志麻の結婚に心を痛めている父親の笠智衆が、息子の三上真一郎に「姉さんには好きな人がいるのかな」と聞くと、息子は明るく答える。
「いるだろう。僕だっているもん、しみずとみこっていうんだ」。よほど仲がいいのかと驚く父親に息子はあっさり白状する。「バスの車掌さんなんだ。名札で名前覚えたんだ。ちいせえんだ。太ってんだ。かわいいんだ」。バスの車掌が輝いていた時代があったことがよくわかる。
かわもと さぶろう
評論家(映画・文学・都市)。1944 年生まれ。東京大学法学部卒業。「週刊朝日」「朝日ジャーナル」を経てフリーの文筆家となりさまざまなジャンルでの新聞、雑誌で連載を持つ。『大正幻影』(サントリー学芸賞)、『荷風と東京『断腸亭日乗』私註』(読売文学賞)、『林芙美子の昭和』(毎日出版文化賞、桑原武夫学芸賞)、『映画の昭和雑貨店』(全5 冊)『我もまた渚を枕―東京近郊ひとり旅』『映画を見ればわかること』『銀幕風景』『現代映画、その歩むところに心せよ』『向田邦子と昭和の東京』『東京暮らし』『岩波写真文庫 川本三郎セレクション 復刻版』(全5 冊)など多数の著書がある。