なぜか。ぼくの答えはこうだ。
「いい顔だから」
「いい顔」というのは二枚目や美男子とは違う。ココ・シャネルが「20歳の顔は自然からの贈り物、30歳の顔はあなたの人生、50歳の顔はあなたの功績」と言ったように、人生の足跡の一つ一つが彫り込まれた顔である。
小津映画のスタッフや出演者の証言から分かるのは小津が人を想うやさしさや人を笑わせるユーモアを持つ人物だったことだ。同時に仕事では妥協をしない、厳しい人だった。そして、飲んだり食べたりが大好きで、たくさんの本を読み、たくさんの美術品を鑑賞した。そんな小津の顔写真を見ていると、小津映画の世界の住人に見えてくることがある。ローポジションで撮られた畳の居間に小津がいてもきっと違和感はない。
小津映画の俳優もみんな「いい顔」をしている。小津の分身とも言うべき笠智衆はその代表だ。ぼくが十代の頃から、年を取ったらこんな老け顔になりたいと憧れた人である。一度だけ取材する機会があったのだが、映画のまんま。何もせず、何も喋らず、そこに突っ立っているだけでも笠智衆なのである。同じ場所にいて、同じ空気を吸っているだけで心がほころんでくるような人だった。
もちろん、この空気は笠智衆が生きてきた時間が醸成するものだろう。とりわけ小津との時間が「いい顔」をつくったに違いない。小津はある時、笠にこんな注文を出した。
「君は、悲しい時には悲しい顔、嬉しい時には嬉しい顔、なんか絵に描いたような演技をするね。俺のところでやる時は、表情はナシだ。お能の面でいってくれ」(笠智衆『小津安二郎先生の思い出』より)