23.03.30 update

「名匠・小津安二郎」の生誕120年、没後60年に想う

 つまり、小津は演じることが本業の俳優に対し、演じることを禁じてしまったわけで、笠智衆が撮影現場で悪戦苦闘したのは言うまでもない。何度もダメ出しされた。箸の上げ下げから、ご飯の飲み込み方まで細かく小津に指示され、自分がまるでロボットになったようだったと笠は語っている。

 それでも愚直に師である小津の教えに従い、年月の経過とともに花を咲かせ、美しいコケが生えてきたのが笠の俳優人生だった。

 小津は笠の魅力についてこう語っている。

「笠は真面目な男だ。人間がいい。人間がいいと演技にそれが出てくる」

 小津の演出は笠智衆という人間の本質を引き出すためのものだったはずだ。笠智衆の柔らかな笑顔は時に仏像の慈愛の微笑みさえ思わせるが、それは小津との共同作業によって、分かりやすい喜怒哀楽の感情表現を捨て去った先で獲得したものなのだろう。

▲『秋日和』撮影風景 左から小津、原節子、司葉子。『秋日和』では、原節子の紺色の着物や帯の柄、岡田茉莉子が着るブルーのドレスなど、イメージカラーは青系で統一されるなど、小津の美意識は映画の細部までゆるがせにしない。写真提供:松竹株式会社
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©1960/2013 松竹株式会社

 小津が「もう1回」、「はい、もう1回」と言って、同じシーンを何度も演じさせたのは笠智衆に限らない。小津映画のミューズとも言える原節子も、名優・杉村春子に対してもそうだった。演じている俳優はどれがOKで、どれがNGか分からない。『東京暮色』に出演した有馬稲子は小津映画の現場は「禅の体験だった」と語り、『秋刀魚の味』の岩下志麻は「どこが悪いか分からず、頭の中が真っ白になった」と言っている。

▲老境を詠んだ杜甫の絶句「尽生前有限杯」を、朝日新聞社の記者だった杉山静夫の退職記念芳名帳に揮毫した。小津の人柄が偲ばれる書画だ。築山秀夫氏蔵

 小手先の芝居を嫌う小津は意図して俳優の頭を真っ白に、つまり人形のようにしたのではなかったか。それも俳優自ら人形となるように仕向けたのである。そして、人形になってからの演技がいい。顔がいい。

 原節子は黒澤明、木下惠介、成瀬巳喜男ら巨匠の映画に数多く出ているが、彼女が一番「いい顔」なのはやっぱり小津映画である。原節子が紀子という名のヒロインを演じた紀子三部作は小津の代表作だが、『晩春』の原節子の微笑みは凄艶な美しさを湛えているし、『麦秋』の微笑みには潔さがある。『東京物語』では笑顔の奥に憂いがある。

▲昭和24年、初めて原節子をヒロインに迎えた記念すべき作品『晩春』。原はなかなか結婚に踏み切れず婚期を逸した娘を演じている。父親役は小津映画を象徴する俳優の第一人者、笠智衆。2 年後の『麦秋』でも原は同様の役を演じたが、父親役は菅井一郎で、笠は兄役だった。『東京物語』とあわせてヒロインの役名から〝紀子三部作〟と呼ばれ、小津の頂点を示す作品と高く評価されている。結婚が決まった娘と父親が枕を並べて過すシーンは小津演出の神髄といわれるこの映画のクライマックスである。写真提供:松竹株式会社
▲『晩春』デジタル修復版
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©1949/2015松竹株式会社

 

 小津映画の女優を見ていると「日本の最高の芸術は象牙細工でも陶器でも漆器でもなく、日本の女性である」といったラフカディオ・ハーンの言葉を思い出す。それくらい小津映画の女優は「いい顔」で輝いている。

 男優だってそうだ。「いい顔」なのは笠智衆だけではない。たとえば、『彼岸花』や『秋日和』の佐分利信、中村伸郎、北竜二の「おじさま3人組」。良き友と良き酒を楽しそうに酌み交わす姿は老い方の手本を見るようだ。

 誤解を恐れずに言えば、小津の映画は「顔」の映画だ。そもそも人物のアップが多い。「ただいま」「遅かったわね」「ちょっと飲んできたんだ」なんて日常会話が、バストショットの切り返しでリズミカルに綴られる。しかも、表情もセリフも抑制がきき、余韻がある。顔から何を読み取るかは観客に委ねられている。「いい顔」と「いい顔」が醸す後味。こんな映画を撮った監督をぼくは他に知らない。

写真提供:オフィス小津、鎌倉文学館

小津安二郎(おづ やすじろう)
映画監督、脚本家。1903年(明治36)12月12日、東京深川生まれ。小学生の時に父親の故郷、三重県松阪に移り、松阪町立第二尋常小学校(現・松阪市立第二小学校)に編入。卒業後は県立第四中学(現・県立宇治山田高等学校)へ進学、卒業後は三重県飯南郡(現・松阪市飯高町)の尋常高等小学校で一年間代用教員を務める。23 年に帰郷し、撮影助手として松竹キネマ蒲田撮影所に入社。27 年、『懺悔の刃』で監督デビュー。その後、<小津調>と称される独特の映像で映画史に残る数々の名作を生み出し、海外でも高い評価を受けている。特集内でご紹介した以外に『大学は出たけれど』『お嬢さん』『大人の見る繪本 生れてはみたけれど』(キネマ旬報作品賞)、『非常線の女』『浮草物語』(キネマ旬報作品賞)、『一人息子』『戸田家の兄妹』(キネマ旬報作品賞)、『風の中の牝鷄』『宗方姉妹』『東京暮色』『浮草』『小早川家の秋』などの監督作品がある。『晩春』でキネマ旬報作品賞、毎日映画コンクール作品賞・監督賞、『麦秋』で毎日映画コンクール作品賞、ブルーリボン賞監督賞受賞の他、紫綬褒章、芸術院賞(映画関係者では初)、芸術選奨文部大臣賞、勲四等旭日小綬章など受賞・受章歴がある。1963 年(昭和38)12月12日、60 歳の誕生日に死去。


米谷紳之介(こめたに しんのすけ)
1957年、愛知県蒲郡市生まれ。立教大学法学部卒業後、新聞社、出版社勤務を経て、1984年、ライター・編集者集団「鉄人ハウス」を主宰。2020年に解散。現在は文筆業を中心に編集業や講師も行なう。守備範囲は映画、スポーツ、人。著書に『小津安二郎 老いの流儀』(4月19日発売・双葉社)、『プロ野球 奇跡の逆転名勝負33』(彩図社)、『銀幕を舞うコトバたち』(本の研究社)他。構成・執筆を務めた書籍は関根潤三『いいかげんがちょうどいい』(ベースボール・マガジン社)、野村克也『短期決戦の勝ち方』(祥伝社)、千葉真一『侍役者道』(双葉社)など30冊に及ぶ。

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映画は死なず

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