在団72年を迎え、さらに意欲的に舞台に向かう
岩崎加根子は俳優座公演以外にも、多くの外部公演にも出演している。松本幸四郎(現・白鸚)、松たか子、松本紀保、串田和美らと共演し、岩松了作・演出で岩松も出演した『夏ホテル』、こまつ座公演の井上ひさし作『頭痛肩こり樋口一葉』、浅丘ルリ子、原田美枝子、仲村トオルらと共演した『羅生門~女たちのまぼろし~』、大地真央主演のミュージカル『プリンセスモリー』、松本幸四郎(現・白鸚)主演の山崎正和作『世阿弥』など外部出演も多彩だ。そして98年のひょうご舞台芸術公演『エヴァ、帰りのない旅』では、紀伊國屋演劇賞個人賞、読売演劇大賞最優秀女優賞を受賞している。大賞、最優秀作品賞、最優秀演出家賞(栗山民也)など、多くの部門で最優秀に輝いた作品だった。
「俳優座の舞台とは違う俳優の方たちとの共演ということで、相手役が違うというのはずいぶんと惑わされることがありますね。難しいのですが、難しいことが面白いのよね。考えなければいけないことがたくさんあって、あんな返され方をしたら、どういう具合に受け止めればいいのかなんて、俳優座の舞台では体験できない難しさという面白さでしょうか」
難しいことが面白いという感覚を持てる岩崎加根子は、やはり頭のてっぺんから爪先まで俳優なのだ。
そして、80周年のアニバーサリー・イヤーである2024年、岩崎加根子には2本の舞台が予定されている。7月の『戦争とは…』、11月の『慟哭のリア』である。『慟哭のリア』の上演時には、92歳になっている。
『戦争とは…』は、30年近く俳優座で毎年上演されている作品で、俳優たちが面白いと感じたり、興味をもった作品をもちより、公演作品が決まる。岩崎加根子は、初回から出演している。
「ずっと朗読として続けてきましたが、昨年から芝居になったんですよ。出し物も、さまざまな視点から戦争を見つめる作品で、昨年は『ボタン穴から見た戦争』という、ノーベル文学賞受賞作家のスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの作品で、大人とはまた違った位置から戦争を見つめていた子供たちの眼に気づいた作者が、第二次世界大戦時に、子供たちだった200人以上の白系ロシアの人たちに取材した証言集です。朗読よりも、芝居にした方がいいのではないかと思いました。それまで、有志たちが自分が発表したいというものを持ち寄ってやっていました。言葉のかけあいみたいなことはありましたが、芝居としてやったのは、昨年が初めてでした」
岩崎も子供時代に戦火を体験している。本箱の本が全部焼けてしまい、泣きじゃくったという惨い体験をした。そんな目に合っていて、今更そんな嫌な話をしたくないと思っていた。きっかけは、日本に戻ることを許されなかった中国残留婦人という13歳以上の女たちの事実を描いた92年の『とりあえずの死』の群馬県・前橋での旅公演先で、明日が旅公演最後という前日の朝、俳優座創設者の一人である村瀬幸子が亡くなったことによる。村瀬は最後まで、この舞台に立ちたかったに違いない、そんな思いが強く感じられたと岩崎は当時を振り返る。そして、村瀬の代役を務めた中村美代子が、俳優座として何か戦争に関わる本を読む会を有志が集まってやろうと言い出し、95年からリーディング・シリーズ『戦争とは…』を続けてきて、2023年に初めて本格的に舞台化と相成った。戦争反対を声高に叫ぶのではない。伝わらない事実を、多くの人に伝えることができたら、という試みである。本年は『被爆樹巡礼』『犬やねこが消えた』という、もっとも弱いものたちが見つめた戦争の事実を伝える作品を上演する。
92歳を迎えての舞台『慟哭のリア』は、〝明治末期の炭鉱を舞台に日本の闇を炙り出す誰も見たことのない「リア王」〟と謳う作品である。東憲司の翻案と演出が楽しみだ、と岩崎の気持はすでに舞台に向かっている。東憲司は、劇団桟敷童子の代表で、劇作・演出・美術を手がけ、2012年には『泳ぐ機関車』ほかで、紀伊國屋演劇賞個人賞、読売演劇大賞優秀演出家賞を受賞し、『泳ぐ機関車』は鶴屋南北戯曲賞も受賞している。社会の底辺を生きる人々を描いた骨太で猥雑な群像劇に定評があり、自らが生まれ育った炭鉱町や、山間の集落に生きる人々をモチーフにしたパワー溢れる舞台が演劇界でも異彩を放ち、偉才と注目されている。この2月から3月には、火野葦平の『花と龍』の脚本を手がけ、鵜山仁の演出により、劇団文化座公演として俳優座劇場で上演されたばかりだ。『慟哭のリア』は、まさに〝伝統と革新の共生〟の具現化された舞台になるに違いない。作品について語るとき、岩崎の声は勢い艶をおび、瞳も輝きを増しているように見える。
岩崎は芝居とは別に「台本を読もう会」という企画も実施している。不定期ではあるが、俳優座の有志があつまって、開催している。次回は「チェーホフの短編集より」として3月30日の開催が決まっている。その後8月にも開催が予定されている。
7 0年以上の芸歴を誇り、さまざまな舞台に立ってきた俳優・岩崎加根子に代表作はと問うのは愚問かもしれない。ただ、岸田國士戯曲賞や、紀伊國屋演劇賞個人賞に輝いた劇作家であり演出家である岡部耕大が岩崎加根子に書き下ろした四季四部作は、岩崎にとっても思い出深い作品だと言う。82年の『肥前松浦女人塚』、84年の『華やかな鬼女たちの宴』、86年の『聖母(マドンナ)の戦き(おののき)ありや神無月』、90年の『ふゆ-生きて足れり-』である。いずれも、女がどういう生き方をしてきたかを描いた作品である。
岩崎加根子を舞台に向かわせる原動力とはいかなるものであろうか。
「役をつけてくださるのだったら続けられるかぎりはやらなくちゃ、という思いでしょうか。やれるかどうかはわからないですけどね」とお茶目に笑う。
劇団にはそれぞれ個性があるが、俳優座での自身の歴史を振り返ってみて、俳優座受験を勧めてくれた池田義一氏が言ったように、俳優座はやはりアカデミックな劇団だと思うと。 「いろんな勉強をさせていただきました。そして今も勉強中です。70年以上にわたり、この芝居は何を言いたい芝居なのか、この人間は何を考えているのか、芝居で役をもらったときに、その人物の人生に頭をめぐらし、本を読んだりもして、その役に近づいていった、そんな俳優人生です」と。
実は、岩崎加根子さんは、河内桃子さん、渡辺美佐子さんとともに〝新劇三大美人〟と言われていたと、当時を知る人からきいたことがあった。それをお伝えすると、「そんなこと言われたことなんてありません」とびっくりした表情で「確かに桃子(河内さん)が入団するとき、今度俳優座に美人が入ってくるぞ。俳優座には美人がいないからねえ、なんて言われたことは思い出しますが」とテレた様子。
ウイットに富んだジョークや駄洒落で、周りをなごませるとても軽やかな雰囲気をまとった素顔の岩崎加根子さん。91歳の俳優からは、透明感のある十代の少女のようなピュアな精神が伝わってきた。100歳の岩崎加根子の舞台を観たくなった。