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〝俳優座創立80周年記念スペシャルシリーズ〟現役俳優として2024年も2本の舞台に立つ、養成所第1期生 岩崎加根子 91歳

劇団員になる前に俳優座公演『桜の園』でアーニャを演じる

 岩崎加根子は、52年に養成所卒業と同時に、俳優座に入団する。養成所時代の51年、俳優座公演として東山千栄子のラネーフスカヤ夫人でチェーホフの『桜の園』が上演された。その演出を手がけた千田是也は「ラネーフスカヤの娘アーニャの役は、若ければ若いほどいい、とチェーホフが言っているから」と言い、「加根子が一番若いんだからおやりなさい」と、なんとまだ俳優座の正式団員になる前の岩崎を舞台に立たせた。推測に過ぎないが、若いという理由だけではない、岩崎加根子の中の俳優としての何かしらの資質を、千田はすでに見抜いていたのかもしれない。

「それまでは、『桜の園』は青山杉作先生の演出だったのですが、新しい演出でやりたいと千田先生がおっしゃっていました。養成所というのは、勉強を重ねて、近代演劇、俳優術というのはどういうものなのかということをしっかりと身につけ理解し、卒業したらすぐにでも俳優座以外でもどこの舞台でも通用する俳優を育てるアカデミーとして設立されました。千田先生は〝衛星劇団〟というものを作りたいのだとおっしゃっていました。他の劇団に所属していても、俳優座で足りない俳優は他所の劇団からでも出演してもらえるような、劇団俳優座の周りにいて、いつでも俳優座の舞台に立てる、ひいては日本の演劇を支えられるような俳優を育てることを考えていらしたようです。あの役はあの俳優にやらせたいというときに、必要とあれば俳優座の芝居に他所の劇団からでも出演してもらう。劇団俳優座の俳優を育てるのではなく、それ以上に日本の近代演劇という大きな視野で、俳優を育成するということで養成所は設立されたのだと思います」

 かつての千田是也は、養成所での勉強中は、他所の芝居に出たりしてはいけないと言っていたという。「僕は前にそう言ったけれども、チェーホフは若い子がやる役だと言っているのだから、加根子がおやり」と、まだ養成所の生徒だったが、岩崎は三越劇場の舞台に立つことになった。岩崎加根子は養成所が設立される前の研究生候補のときに初舞台を踏み、養成所時代に劇団俳優座公演『桜の園』の舞台に立った。

 その舞台を観た映画五社の映画監督たちから、養成所の生徒である、まだ俳優という肩書のない岩崎にいろんな役をオファーされるようになり、多くの映画にも出演するようになった。そのころ、「芝居というのは劇場がなければできないんだから劇団で劇場を持ちたい」という千田是也の夢に賛同し劇場を建てる資金作りのため、東野英治郎、小沢栄太郎、東山千栄子はじめ全員が映画、テレビドラマに出演し、後に映画史に刻まれることになる名作と呼ばれる日本映画を支えてきた。岩崎加根子は、東映、東宝、新東宝、大映、松竹、日活とすべての映画会社に出演している。

『桜の園』で、ラネーフスカヤとアーニャの両方を演じた世界でただ一人の俳優

 1954年4月20日、ついに俳優座劇場が完成して、こけら落としでは、アリストパネスの『女の平和』、こどもの劇場『森は生きている』が上演された。

「こけら落としで『女の平和』を上演しているころだったでしょうか、先輩の女優さんたちから青年座という劇団を作るから一緒に来ないかと誘われたこともありました。日本の創作劇をもっと新しい人たちに書いてもらって上演していきたいという思いで、その後、東恵美子さん、初井言榮さん、山岡久乃さん、森塚敏さんたちは青年座を立ち上げられました。そのときも、私は俳優座で勉強したいということで、俳優座を出ることは考えませんでした。まだまだ俳優座で教わることがたくさんあるという思いだったんですね」

 千田是也の近代俳優術は、その後の岩崎加根子の女優としての基本になっているもので、今でも、演じるときには千田の言葉を思い出すという。そして、在団72年を迎えても、舞台に向かう姿勢は、入団時代から変わらない。

「51年にアーニャを演じることになったときも、どんな気持というより、その役を演じることに一生懸命でした。その後も、演技することに魅力を感じるいうより、毎回、与えられた役と向き合い演じる難しさに直面し、それを乗り越えるのが常に大変だったという歴史です」

 だが、芝居の難しさに直面しても、辛いから芝居をやめようと思ったことはなかったときっぱりと言う。

  「この場所にいるものだと自分自身で思い込んでいたんでしょうね。俳優座はわが家みたいなもので」

 アーニャを演じた岩崎は、その20年後の81年の東山千栄子追悼公演『桜の園』では、東山の当たり役であるラネーフスカヤを演じることになる。そのときも、ラネーフスカヤを演じることの感慨というものはなく、とにかくやるしかないということで精一杯だった。

「千田先生は、チェーホフは喜劇で、喜劇というものはどういうものなのかということを考えてやりたいとおっしゃっていました。そして、ラネーフスカヤは落ちていく女だと。滑り落ちていく女だというので、公演のポスター・チラシも私が滑り台から落ちる画像になっています。たとえば気取った女がつまづいて、あたふたとする。当の本人にとっては悲劇でも、それを傍から見ている人にとっては、滑稽に映る、喜劇になる。チェーホフはそういうことを言いたくてこの芝居を書いたのではないかと」

 千田からは、東山千栄子のラネーフスカヤではない、東山千栄子がやらなかったこと、やれなかったことをやれということで、自分で想像しながらやってごらん、と言われた岩崎。

「あの時代に自由奔放に生きてきた女が何もかもなくしてしまったときでも、それでもケロッとパリに帰っていっちゃうんだよ、そういう女なんだよと。だから、売却を迫られ私の大好きな桜の園よさよならって泣くんだけど、桜の園が売れたときにも、あの小作人の小僧が買ったというときでも、嘆いてはいるんだけど、今泣いたカラスがもう笑った、っていうふうに泣くだけ泣いて、ケロッとしてパリに戻っていくそんな女なんだよと。そして、アーニャを演じた女優がラネーフスカヤをやるなんて、古今東西ないらしいよ、とも言われました」

 自分の演技を外側から客観的に見なくてはいけないと思うと言いながらも、自分を見せるのではなく、その役を演じるというのが大切だと思うと言う。

「私という女がこの女の役をやる、その女になったつもりでやってきました。千田先生はよく、〝つもり〟でやりなさい、その人間になったつもりでおやりなさいとおっしゃっていましたが、その言葉は、私が演技する上で、すごく当てはまっていたように思います。だから、演出家によって、どう演じるかもずいぶん違ってくるのでしょうね」と、安部公房演出による舞台のことを語ってくれた。

「一時、安部公房さんにもいろんな作品を書いていただき、人間とも猿とも違うウエーという生物をめぐる話の『どれい狩り』という作品は、55年、67年に千田先生の演出で上演されています。あるとき、安部公房さんが、僕の戯曲をずっと千田さんの演出でやっていると、〝千田流〟になってしまうと。本をわたしたら、それは演出家のものだから、作家の立場からは何も言えない。僕は安部公房としての芝居がやりたいと俳優座に書くことをおやめになって、ご自身で演出もなさる安部公房スタジオを発足なさった。新劇合同公演で、安部さんの3作品をオムニバス上演したときに芥川比呂志さん、鈴木瑞穂さん井川比佐志さんたちが出演なさって、私も悦ちゃん(市原悦子)と一緒に『鞄』という作品に出演しました。そのときに、安部さんの演出を受け、演出家が違うと演じ方も違ってくるし、作品自体もこうも違ってくるのかと思えるほど別のものになるということを体験させていただきました。鞄には何が入っているのかということで、想像力を駆使しなければいけない難解な芝居でした。身体が痛くなるような経験をしたのは初めてでした」

 そして、再び千田演出の『桜の園』について。

「同じ『桜の園』でも青山杉作先生と千田先生とではやり方、演出も違っていまして、いきなり「真似するな」と千田先生から言われました。真似しているつもりはなかったのですが、アーニャでご一緒させていただいたときの東山先生の演技、独特のセリフ回しが私の中に自然と染みついていたのでしょうね。千田先生は言葉遣いがどうだこうだとかいちいち細かいことはおっしゃいませんが、自分の中から出てくるものの大切さということをおっしゃっていたのだと思います。桜の園が売れたと聞いてラネーフスカヤが泣くということを考えないで加根子のラネーフスカヤだったら、ということを考えてみてごらんと指導してくださいました。私の中から生まれるラネーフスカヤを引き出してくださろうということなんですね」

 それこそが、千田是也がいうところの近代演劇における俳優にとってのリアリズムなのかもしれない。

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