愉快な〔本歌どり〕の『ペッパー警部』
もとは旧く『万葉集』にあった歌(長歌(ながうた))である。〈淡路島松帆の浦に 朝なぎに玉藻刈りつゝ 夕なぎ に藻塩焼きつゝ〉。海草に海水を何度かかけて乾し、さらに焼いて塩を採る風景を〔恋〕の歌に仕立て直したところが後世の名人定家の技なので、これを〔本歌どり〕という。〔真似〕ではない。伝統的和歌の世界では、新奇よりも旧いものに何かの由縁(ゆかり)を、持っていることのほうが大事だった。
阿久悠の愉快な本歌どりは『ペッパー警部』(昭和51年、曲・都倉俊 一、唄・ピンク・レディー)がそれだ。
アツアツの二人が〈私たちこれからいいところ〉になりかけた時、 ペッパー警部の邪魔が入る。年配の人ならすぐ、これには〔本歌(もとうた)〕があるのを思い出すだろう。昭和31年の 曽根史郎『若いお巡りさん』(詞・井田誠一、曲・利根一郎)だ。
〈もしもし ベンチでささやく お二人さん 早くお帰り 夜が更ける〉。
ペッパー警部の名の由来は、このころコーク系飲料の日本版が発売されていて、ドクター・ペッパーの名がついていたからだろう。けっこう 笑える名前だった。
これを今ふうに〔パロディ〕と呼ぶのは当たらない。やはり本歌どりと言うべきだ。何故かというと、本歌どりは必ず何の歌が本(もと)なのか明示しなければいけないことになっていて、〈来ぬ人を〉の定家にしても〈夕なぎに焼くや藻塩の〉の句(フレーズ) をそのままとり込んで、万葉集の歌が本歌なことを明らかにしている。
そこで阿久悠はこう作詞した。
〈もしもし君たち帰りなさいと 二人をひきさく声がしたのよアアア〉。
和歌(やまとうた)の作法をこの人はよく知っていたのだ。