長男 深田太郎氏が語る 「作詞家・阿久悠」 ~明治大学 阿久悠記念館案内~
1976年から79年あたりが作詞家としては一番たくさん書いていたと思います。でも、その時期は絵を描いたり、野球チームを作ったりして結構遊んでる時期でもあるんです。1曲作るのに父が課した時間は2時間くらいなんです。1日中仕事で書斎にこもりっぱなしというタイプではありませんでした。いわゆる 「無頼」というタイプでもありませんでした。「無頼」とか「天才」という典型や定型を嫌っていました。それをぶち壊して、自分をスタンダーにしたのだと思います。父の職業を意識したのはフィンガー5です。
僕は8歳くらいなんですが、クラスの子たちがみんな歌っていて、なんだか嬉しかったですね。僕がロックバンドをやっている時、「多夢星人(たむせいじん)」 というペンネームで詞をもらったことがあります。僕が本田美奈子さんの曲を担当することになった時も、 父が詞を提供してくれました。父の詞はドラマがはっきりしていて、父の詞が導いてくれたおかげで曲はすぐにできました。私小説の世界ではなく、俯瞰的に映画のように詞の世界を創っていたと思います。
この記念館に再現されている書斎は伊東の自宅の書斎そのもので、父の姿が浮かんできます。入口に展示されている 99枚のレコードジャケットを見ていると、単純に「すごいな」と父の偉大さに圧倒されると同時に一ファンとしてそれぞれのジャケットからその時代時代の僕自身のことが思い出されます。ここでは、作詞家としての父もそうですが作家としての部分にも触れることができ、父の死後見つかった未発表の 小説『無冠の父』の自筆原稿も展示されています。多くのみなさんにい らしていただいて、父のことをもっと知っていただきたいと願っていま す。そして、父の大全集ともいえる 『人間 万葉歌』『続・人間 万葉歌』の 試聴もできますから、父が作った歌をぜひ聴いていただきたいです。
深田太郎(株式会社阿久悠 取締役) 阿久悠オフィシャルホームページあんでぱんだん http://www.aqqq.co.jp
明治大学 阿久悠記念館
〔住〕千代田区神田駿河台1-1 明治大学アカデミーコモン地階
〔問〕03-3296-4329(明治大学総務課大学史資料センター)
〔開館〕10:00~17:00
〔休館〕8/10~8/16、12/25~1/7 ( 8月の土・日曜に臨時休館があります ) 〔入館料〕無料
阿久悠
1937年淡路島に生まれる。59年明治大 学文学部日本文学専攻卒業、広告代理店・宣弘社入社、コピーライター・CM制作を手がけながら放 送作家としても活動。66年に退社し放送作家、作詞家としての活動を本格化させる。67年にザ・モップスの「朝まで待てない」でA面デビュー。歌謡曲、 アニメソング、CM曲まで幅広いジャンルでヒット曲を送り出し手がけた数は5,000曲以上。日本レコード大賞受賞は史上最多の5回、シングルレコードの売り上げは6,800万枚を超え作詞家歴代第1位。作詞のみならず直木賞候補となり映画化された『瀬戸内少年野球団』をはじめとする小説、エッセイ、詩歌を多数発表している。『殺人狂時代ユリエ』で横溝正史賞、掌編小説集『詩小説』で島清恋愛文学賞を受賞。97年には30年間にわたる作詞活動に対して菊池寛賞受賞。その後、紫綬褒章、旭日小綬章受章。07年に70歳で永眠。