阿久悠の優しさを託された歌のなかの脇役たち
すぐに紙数が盡きてしまう。〔歌枕〕は『津軽海峡・冬景色』(昭和52年、曲・三木たかし、唄・石川さゆり)の青森を挙げて代表としておこう。現地を見ないでその風景を描いたとの伝説があるが、妙なことをあげつらうものだ。歌枕は昔から現地など見ないものだ。あれは〔心の風景〕で、だからこそ連絡船が姿を消 しても情景は長く生き続けるのだ。
ぼくが好きなのは二番の 〈ごらんあれが竜飛岬(たっぴみさき)北のはずれと 見知らぬ人が 指をさす〉の歌詞だ。
ここに出てくる〈見知らぬ人〉という〔点景人物〕がいい。こうした歌詞の、主人公でない、ちょっと出てくるキャラクターが巧いのだ。
『五番街のマリーへ』(昭和48年、 曲・都倉俊一、唄・ペドロ&カプリシャス) 〈五番街へ行ったならば マリー の家へ行き どんなくらししているのか見て 来てほしい〉
『ジョニイへの伝言』(昭和48年、 曲・都倉俊一、唄・ペドロ&カプリシャス) 〈ジョニイが来たなら伝えてよ 二時間待ってたと〉
『五番街〜』の主人公は男で、 『ジョニイ〜』の主人公は女だろう。 画面(といっていいほど映画のような情景だ)には出てこないマリーと ジョニイが副主人公格である。
しかし、もっと重要な人物がいる ことを忘れるわけにはいかない。五番街へ行ってマリーの様子を見てき てほしいと頼まれる人物、ジョニイへの「わたしはわりと元気だと」伝言を託される(飲み友だちか、もしかすると酒場のバーテン)人。
この脇役たちがとてもやさしい。
〈もしも嫁に行って 今がとてもしあわせなら 寄(よ)らずにほしい〉と頼(たの)める人間であり
〈友だちなら そこのところ うまく伝えて〉。
うまく伝えてくれることを期待出来る人たちなのだ。
この人たちも、津軽海峡で「あれが竜飛岬」と指さしてくれた人も、 もし事情を打ち明けたら、いっしょに泣いてくれそうな人物である。点景に過ぎないように見えて、そうではない。阿久悠は人にやさしい歌を書人だったけれど、その優しさは これらの人物に集中しているように見える。
そしてよく考えてみると、この点景人物こそ〔歌を聴く私たち〕なの だと気がつく。
いくら書いても書き尽くせない阿久悠の歌の魅力がいちばん詰っているのがこの箇所だ。
歌詞出典は『日本のうた』(野ばら社刊)
かもした しんいち
演出家、エッセイスト。(1935年~-2021年2月)。58年に東京大学文学部美術史科卒業、ラジオ東京(現・東京放送)入社、テレビに「天国の父ちゃんこんにちは」シリーズ、「女たちの忠臣蔵~いのち燃ゆるまで」「花のこころ」など 200本以上を手がけた東芝日曜劇場をはじめ、「岸辺のアルバム」 「幸福」「想い出づくり 」「 ふぞろいの林檎たち」「源氏物語」「高校教師」「カミさんの 悪口」「歸國」など多数の演出作品があるほか、 『向田邦子小劇場』(隣の女、眠り人形、春が来た、びっくり箱、重役読本)、『華岡青洲の妻』『白石加代子の源氏物語』『同百物語』『山口百恵引退公演』など舞台演出も数多く手がける。著書に『テレビで気になる女たち』『忘れられた名文たち』『誰も「戦後」を覚えていない』『 ユリ・ゲラーがやってきた 40年代の昭和』『日本語の学校』『名文探偵、向田邦子の謎を解く』など多数ある。