夫婦の違いが端的に出たのが食の好みだ。美味しい味噌汁と漬けものがあればいい高峰に対し、松山は味噌汁の匂いを「クサイ」、漬けものを「ドブ」と言って毛嫌いした。人には理屈抜きの好き嫌いがあることを理解する高峰は、味噌も漬け物も家には置かないようにした。食べるのは夫が旅行などで留守をしたとき。外で食べた。さらに夫のために栄養士並みにバランスのよい食事を作り、レパートリーはゆうに百を超えた。
▲「あたしは階段を上る時が一番イヤだった」という高峰秀子の一人称の印象的なナレーションから始まる、菊島隆三によるオリジナルシナリオを映画化した1960年公開『女が階段を上る時』の撮影時の高峰秀子、成瀬巳喜男監督、加東大介。夫の死後、生活のため銀座の高級バーの雇われマダムとして働く未亡人が、体を張ってのし上がっていく同僚たちを尻目に、男たちの欲望と打算に翻弄されながらも夜の世界を生き抜く姿を、高峰は気品高く演じた。高峰は自ら衣裳も担当した。森雅之、仲代達矢、団令子、淡路恵子、中村鴈治郎、小沢栄太郎らが共演。『浮雲』とともに、高峰自身が好きな映画だという。(C)1960 東宝
こうして高峰秀子の暮らしをあたかも見てきたように書けるのは、彼女が50歳を過ぎ、映画から離れて以後、エッセイストとしてたくさんの著書を残してくれたからである。文章を書く才気にあふれ、ものを見る確かな目がある。読んでいると、つい付箋を貼ったり、傍線を引きたくなる。自伝ともいうべき『わたしの渡世日記』は映画のファンなら必読の本なのだが、ぼくが付箋を貼ったのは、たとえばこんな箇所だ。
「彼が、日本の映画界にペシミズムを持ち込んだ最初の作家だと、私は思っている。」
彼とは28歳で戦病死した山中貞雄のこと。『人情紙風船』など山中貞雄の作品を観た人なら、この言葉に肯く人は多いはずだ。
▲松山善三が日比谷で見かけた、ろう者の靴磨きの夫婦に着想を得、自ら脚本も手がけた1961年公開の松山の監督デビュー作『名もなく貧しく美しく』。写真は靴磨きの取材中の監督・松山善三と女優・高峰秀子。高峰は『永遠の人』とあわせて毎日映画コンクール主演女優賞を受賞。夫役の小林桂樹ほか、原泉、草笛光子、荒木道子、そして加山雄三も出演。小学校などでも上映され、数々の苦難を乗り越えて健気に生きる夫婦の姿は、子どもたちの涙をも誘った。高峰と小林は、手話が美しく映るように工夫して洗練させ、高峰の手話は〝指のバレエ〟との高評価を得た。(C)1961 東宝