25.04.01 update

【特集:成瀬巳喜男監督生誕120年】溝口健二、小津安二郎、黒澤明と共に「日本映画四大監督」と称される成瀬巳喜男映画を楽しむ4つの視点 後編

第四の視点
お金の話。そして具体額を出すことへの執念


 成瀬映画は「お金」をめぐる話が多いと指摘したのは、コモレバWEBでもおなじみの、成瀬映画ファンの文芸・映画評論家の川本三郎氏である。筆者も成瀬映画を観始めた時期、川本氏の論に「なるほど」とうなずいた。その後数多く観ていく中で、さらなる特徴を見いだした。それは「成瀬映画は単にお金の話だけでなく、具体的な金額を執拗に出す」ということ。筆者は成瀬生誕100年=2005年の著作『成瀬巳喜男を観る』(ワイズ出版)でもその点を指摘した。

 台詞の中に具体的な金額が数多く出てくるのが『娘・妻・母』(60)。 脚本(オリジナル)=井手俊郎、松山善三。
 坂西家の長女(原節子)の嫁ぎ先の夫が交通事故で亡くなる。次女(草笛光子)が赤電話をかけて、実家の母(三益愛子)と話す。「告別式の香典をいくら持っていったらいいか、弟で次男(宝田明)はいくらくらいなのか」と訊ねる草笛。三益は、「宝田が家族に相談もなく、お通夜に3000円持っていった。派手なことをしてと長男(森雅之)が怒っている」と話す。次のシーン。草笛の姑(杉村春子)は「うちは500円でいいんだよ」とその理由を述べる。通夜や告別式が描かれる映画は多いが、香典の具体額についての台詞のある映画はあるだろうか?
 同作でもう一つ。夫の事故死で実家の坂西家に戻って来た長女の原。母の三益に「毎月いくら(生活費)をいれたらいいか、妹=三女(団令子)はいくらいれているか」と訊ねる。三益は「毎月2500円」と答える。原は「じゃあ私は5000円でいいわね」と話した後に、「私お金持っているの。主人の生命保険金の100万円」と話す。


▲1960年公開『娘・妻・母』。数多い登場人物たちにそれぞれの役割を与え、俳優たちの個性を見事にいかした演出術が冴える、成瀬巳喜男55歳のときの作品。写真左から三益愛子、団令子、草笛光子、原節子、高峰秀子。©1960 東宝


 成瀬映画を観る時は、台詞の中に含まれる「具体的な金額」を意識してみると面白い。映画撮影当時の月給や物の値段などは、結果的にその時代を表す貴重な情報となっている。
 たとえば、昭和10(35)年公開の『妻よ薔薇のやうに』(P.C.L. 原作=中野実、脚色=成瀬巳喜男)では、丸の内の会社に勤めるモダンガールの千葉早智子は、恋人の大川平八郎に「私の月給は45円よ」と話す。


 前述の『娘・妻・母』にはこんなのもある。
 映画のラスト、公園にやって来て一人でベンチに腰かけている三益愛子は、ベビーカーを押して歩く近所の老人=笠智衆と挨拶を交わす。笠の台詞=「あぁ、いいお天気で」がまるで小津映画の台詞のようで微笑ましい。小津映画でお馴染みの笠は、松竹蒲田時代、サイレント映画の成瀬作品には数本ノンクレジットで出演(『君と別れて』『夜ごとの夢』(33)、『限りなき舗道』(34))しているのだが、名前のクレジットされた作品では、本作が初出演となる。「お孫さんですか?」と訊く三益に対して、ニコニコしながら「いえ、内職に近所の子供を預かっているんですよ、1日70円で」と答える。

▲ずらり勢揃いした『娘・妻・母』の豪華出演者たち。写真左から舞台となる坂西家の長男役の森雅之、長男の妻の叔父役の加東大介、次男の妻役の淡路恵子、次女の夫役の小泉博、未亡人となった長女に好意を抱く、三女が勤める酒造会社の醸造技師役の仲代達矢、未亡人となり実家に戻る長女役の原節子、次女役の草笛光子、母役の三益愛子、長男の妻役の高峰秀子、長男の息子役の松岡高史、次男役の宝田明、三女役の団令子、三女の恋人役の太刀川寛(洋一)、未亡人となった長女の見合い相手役の上原謙。
©1960 東宝

  

 この直前の笠の台詞に「この公園はもうすぐ取り壊されるようですなぁ、どこかの銀行のアパートが建つようです。子供の遊び場が無くなるのは困りますなぁ」とあるが、実際にはこの公園(ロケ場所=世田谷区立赤松公園:世田谷区赤堤)は、映画撮影時から65年経った今も現存している。この公園は『女の歴史』(63)のラストにもロケ地として登場する。
 前半の場面で、母の三益が長女の原、長男の妻(高峰秀子)、三女(団令子)たちと一緒に食べるショートケーキは1個80円(団の台詞)。笠の1日の内職代より高い!

▲『娘・妻・母』のラスト、三益愛子と笠智衆が挨拶を交わす公園。ロケ地である世田谷区立赤松公園は現在も区民の憩いの場所になっている。(筆者撮影)

 


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