第四の視点
お金の話。そして具体額を出すことへの執念
成瀬映画は「お金」をめぐる話が多いと指摘したのは、コモレバWEBでもおなじみの、成瀬映画ファンの文芸・映画評論家の川本三郎氏である。筆者も成瀬映画を観始めた時期、川本氏の論に「なるほど」とうなずいた。その後数多く観ていく中で、さらなる特徴を見いだした。それは「成瀬映画は単にお金の話だけでなく、具体的な金額を執拗に出す」ということ。筆者は成瀬生誕100年=2005年の著作『成瀬巳喜男を観る』(ワイズ出版)でもその点を指摘した。
台詞の中に具体的な金額が数多く出てくるのが『娘・妻・母』(60)。 脚本(オリジナル)=井手俊郎、松山善三。
坂西家の長女(原節子)の嫁ぎ先の夫が交通事故で亡くなる。次女(草笛光子)が赤電話をかけて、実家の母(三益愛子)と話す。「告別式の香典をいくら持っていったらいいか、弟で次男(宝田明)はいくらくらいなのか」と訊ねる草笛。三益は、「宝田が家族に相談もなく、お通夜に3000円持っていった。派手なことをしてと長男(森雅之)が怒っている」と話す。次のシーン。草笛の姑(杉村春子)は「うちは500円でいいんだよ」とその理由を述べる。通夜や告別式が描かれる映画は多いが、香典の具体額についての台詞のある映画はあるだろうか?
同作でもう一つ。夫の事故死で実家の坂西家に戻って来た長女の原。母の三益に「毎月いくら(生活費)をいれたらいいか、妹=三女(団令子)はいくらいれているか」と訊ねる。三益は「毎月2500円」と答える。原は「じゃあ私は5000円でいいわね」と話した後に、「私お金持っているの。主人の生命保険金の100万円」と話す。

成瀬映画を観る時は、台詞の中に含まれる「具体的な金額」を意識してみると面白い。映画撮影当時の月給や物の値段などは、結果的にその時代を表す貴重な情報となっている。
たとえば、昭和10(35)年公開の『妻よ薔薇のやうに』(P.C.L. 原作=中野実、脚色=成瀬巳喜男)では、丸の内の会社に勤めるモダンガールの千葉早智子は、恋人の大川平八郎に「私の月給は45円よ」と話す。
前述の『娘・妻・母』にはこんなのもある。
映画のラスト、公園にやって来て一人でベンチに腰かけている三益愛子は、ベビーカーを押して歩く近所の老人=笠智衆と挨拶を交わす。笠の台詞=「あぁ、いいお天気で」がまるで小津映画の台詞のようで微笑ましい。小津映画でお馴染みの笠は、松竹蒲田時代、サイレント映画の成瀬作品には数本ノンクレジットで出演(『君と別れて』『夜ごとの夢』(33)、『限りなき舗道』(34))しているのだが、名前のクレジットされた作品では、本作が初出演となる。「お孫さんですか?」と訊く三益に対して、ニコニコしながら「いえ、内職に近所の子供を預かっているんですよ、1日70円で」と答える。

©1960 東宝
この直前の笠の台詞に「この公園はもうすぐ取り壊されるようですなぁ、どこかの銀行のアパートが建つようです。子供の遊び場が無くなるのは困りますなぁ」とあるが、実際にはこの公園(ロケ場所=世田谷区立赤松公園:世田谷区赤堤)は、映画撮影時から65年経った今も現存している。この公園は『女の歴史』(63)のラストにもロケ地として登場する。
前半の場面で、母の三益が長女の原、長男の妻(高峰秀子)、三女(団令子)たちと一緒に食べるショートケーキは1個80円(団の台詞)。笠の1日の内職代より高い!
