江戸薫る 芝居小屋の風情を今に
文:杉山 弘
企画協力&写真提供:明治座
前身の喜昇座から数えると2023年には創業150年を迎えることになる明治座。東京で最も古い劇場ということである。
開業以来、明治座が一貫して心がけているのは「常に新しい感動をつくり提供し続ける」こと。時代が変わっても、演劇を楽しみとする世の人の心は変わらないと、さまざまな文化にとって受難の時代であった戦時中も、終戦の年の2月まで公演を続けた。丁寧につくられた一流の作品でありながらも、かしこまった「鑑賞」の対象ではなく、気軽に「見物」できる、日々の暮らしの中で気楽に足を運べる舞台。演劇は作り手だけでは完成しない芸術だと心得、客に「観に行きたい」と思ってもらえる舞台づくりの歴史を紡いできた。
幕が下りた後に「ああ、面白かった、観に来てよかった」と観客が感じて初めて明治座の舞台は完成するのである。
演劇というより、芝居という表現が似合う日本橋浜町らしい劇場。劇場前に立てられた、役者の名前を染め抜いた幟(のぼり)が、芝居小屋という情緒を演出する。
劇場でのすべての時間を
晴れやかな思い出に
明治26(1893)年に誕生した明治座は、歌舞伎座や新橋演舞場、帝国劇場と並び、東京を代表する劇場として長年愛さてきた。花道や宙乗り装置が常備され、かつては歌舞伎や新派、新国劇の殿堂として親しまれた。1960年代の高度経済成長期に入ると「座長公演」で一世を風靡する。これは一人の座長を中心として、公演の度に一座を組む新しい形式の公演で、森繁久彌、二代目尾上松緑、大川橋蔵、山田五十鈴、山本富士子、髙橋英樹、三木のり平、池内淳子、杉良太郎、舟木一夫、橋幸夫、美空ひばり、藤田まこと、松平健らが座長となって、積み上げてきた芸にさらなる磨きをかけた芝居や歌謡ショーでファンを魅了した。銀幕スターから時代劇俳優、大物歌手、人気コメディアンまで、昭和の芸能史をみるかのような煌びやかなラインアップで賑わった。
演劇愛好家ではなく大衆に愛された明治座は、東京近郊の都市から訪れる団体客の占める割合が高いことでも知られている。その特徴を一言で形容するなら「オール・イン・ワン」ではないだろうか。化粧水や乳液、美容液、クリームなどの効果が一つになり、スキンケアを手早く済ませたいときの頼れるアイテムとして、近年「オール・イン・ワン」化粧品が脚光を浴びている。この手軽さと高い満足度を明治座に置き換えると、東京見物を兼ねてバス旅行を仕立てて来場し、練り上げられた芸を楽しむ。また売店では東京銘菓や公演限定の記念グッズをお土産にし、ロビーに飾
られた東山魁夷、山口吉三郎、加倉井和夫ら現代日本画家の名画が目の保養となれば、休憩時間には豪華な食事に舌鼓を打つことも出来る。明治座の三田芳裕・代表取締役社長はミシュランガイドの三つ星に輝いたこともある人形町の老舗料亭「玄冶店 濱田屋」の代表取締役社長も兼任している。この料亭で修業した料理長が劇場内の厨房で腕を振るい、食堂では2回の休憩時間を使って来場した多くの観客(定員=1448名)は伝統の味を楽しむことも出来る。
小旅行(トラベル)に芝居見物(イベント)や食事(イート)。こう並べてみると、政府の「Go To」キャンペーンの要素が明治座にほとんど詰まっていることに気づかされる。新型コロナウイルス感染症の流行に伴う外出自粛や休業要請で業績の悪化した企業を支援する政府の経済政策にのって、キャンペーン利用者は日常生活で疲弊した心をリフレッシュすることが出来る。明治座はそんな楽しみが詰め込まれた「オール・イン・ワン」の劇場とも言い換えられる。
それだけに今回のコロナ禍は劇場運営にも大きなダメージを与えた。2020年は3月から8月まで、10公演が中止となり、再開場後も団体客への集客が呼びかけにくい状況が続いている。新しい試みとして、遠隔地に住んでいる人や移動が難しい高齢者に向けて会員制の動画配信サービスを始めたほか、インターネットを通じて資金提供を呼びかけるクラウドファンディングにも着手している。ただ、経営を支える主力となるには、まだまだ時間がかかりそうだ。