◇若・貴・曙で開けた平成の大相撲
若・貴兄弟が昭和63年に入門し、一年半後の平成の扉を開けました。63年入門組は、若乃花、貴乃花、曙の3人横綱、大関・魁皇らの活躍で相撲人気が大きく盛り上がりました。若・貴兄弟は、父親が角界のサラブレッドといわれた大関貴ノ花、注目されるのは必然でしょう。
平成7年11月場所、賜杯をかけての兄弟対決はテレビ視聴率58%を記録しました。勝負は兄・若乃花が右四つになり、左からおっつけて頭を付けます。貴乃花にまわしを与えないまま、寄りたてて下手投げで勝ちました。若乃花の「(兄弟対決は)辛かった、パレードで旗手をつとめた貴乃花がもっと顔をあげて! 笑って! と言ってくれたが笑えなかった。もう勘弁してください」と漏らした言葉が忘れられません。「ああ、落ち着くべき形で決着した」と私は納得していました。
ハワイ出身力士として高見山が道を開き、小錦がさらに広げ、のちに続いたのが曙でした。曙は入門僅か2年で十両に昇進するというスピード出世でしたが、来日して2年の間に、通訳を交えず日本語で会話ができるほど学習していたのです。ハイビジョン番組で曙を取材したとき、「ボクはいま英語を忘れようとしているのです。日本語を覚えなければホントの相撲は覚えられません」と言った曙の学習意欲と、彼が日本の文化、国技と言われる大相撲に取り組む姿勢が十分伝わってきました。師匠の東関(高見山)が、「曙は一を聞けば十が分かるほど利口な男だ」と言ったのを覚えています。