大相撲本場所、コロナ禍による入場制限が起こる前、力士が出退場する花道横の記者席からじっと土俵を見守っている男がいた。昭和28年NHK入局、ラジオ、テレビの実況放送のアナウンサーとしての現場から杉山邦博の声は全国に流れた。以後69年間の長きにわたって大相撲を見続けてきた。現在91歳、地方場所でも2週間のホテル住まいをして本場所に出かける。「あらゆる情報は現場にあり」という確信をもって常に力士たちと接し、取組を取材する。観客席から実況放送するように瞬きもせず土俵上を凝視する。「相撲は勝ち負けだけの単なるスポーツではない、神事であり国技なのです」と彼は言う。ここに相撲現場の秘蔵のスナップ写真を公開していただき、記憶に残る名力士たちを語ってもらった。
語り下ろし/写真提供 杉山 邦博(文責・編集部)
ライバルがいるから強くなる
昭和の大相撲は「栃若時代」が去り、ほどなく「柏鵬時代」が出現。二人の小兵横綱の研ぎ澄まされた技と鍛えられた力のぶつかり合いから、絵に描いたような大型力士のライバルが登場した。「剛の柏戸、柔の大鵬」時代、杉山アナウンサーの実況放送はいよいよ熱気を帯び相撲ファンは熱狂した。
◇「柏鵬時代」到来、ライバルの戦いに沸く
昭和36年11月場所で柏戸と大鵬は同時昇進し、「柏鵬時代」を築きました。柏戸は昭和29年9月、2年後れの昭和31年9月に大鵬は初土俵を踏みます。両者、187センチ超、130キロを優に超え、大型力士時代の到来となりました。しかも、高度成長期の幕開けとなり、子どもの好きなものは、「巨人、大鵬、卵焼き」と称されるほどにもなりました。「剛の柏戸、柔の大鵬」と呼ばれる二人は対照的で、大鵬は受け止めておいてじっくり料理するタイプ。実況もじっくりしゃべることができるので、アナウンサー冥利に尽きます。かたや、柏戸は、2、3秒で勝敗が決まってしまう。ラジオの実況放送では、「柏戸、走ったー、柏戸の勝ち」と言ってから、「柏戸立ち合い左足から踏み込んで、左前みつを探りながら右のど輪、一気に一直線に押し出しました。柏戸の勝ちです」と一行で説明を加えました、大鵬に対し、柏戸は「直線の横綱」だったのです。
好いライバルがいたからこそ、お互いがより輝くことができたのでしょう。はじめは先輩格の柏戸が対戦成績でもリードしていましたが、故障が多く、大鵬が優勝回数も伸ばしていきました。忘れられない取組は、昭和38年9月場所の千秋楽です。両者14戦全勝でした。柏戸は春から怪我をし、休場していましたので大方の予想は大鵬有利。しかし、柏戸が勝ったのです。私はその一番の後、柏戸関にインタビューしました。
「おめでとうございます」とマイクを向けると、柏戸は「ありがとうございます」と言ったきり感極まり言葉が続きません。あふれ出した涙が頬を伝わり流れ落ちます。抑えていたものが一気に噴き出しての男泣きです。私もグッときました。数分間黙ったまま柏戸関の顔を見つめながらも自分を抑え、「ありがとうございました」とだけ言ってインタビューを終えました。こういう時につまらない質問をするべきではない。無言だから伝わるものがあります。柏戸は優勝5回を果たすも、内臓疾患に悩まされ、昭和44年7月場所で引退。そして、負けた大鵬は、自分に慢心があったったこと、心に隙があったことを反省し、「柏戸関に負けたことで後々の自分がある」と何度も語っています。