◇白鵬の連勝を阻んだ一番が残したもの
「抑制の美」そのままの相撲を思い出すのは、平成10年11月場所の2日目の横綱白鵬と当時平幕だった稀勢の里の対戦です。時に白鵬は63連勝、双葉山の持つ不滅の69連勝に臨む注目の場所でした。実況すれば……、
「東・白鵬、西・稀勢の里。立ち上がりました! 白鵬右から張って押して出ました。西土俵際に押し込まれた稀勢の里。右から突き落としで回り込み、土俵中央、激しい突っ張りあい。稀勢、左を差し、右上手を取りました。左四つ! 稀勢の里、上手を引き付けて出る。白鵬左内掛けで防ぐ! 稀勢、残して寄る。正面に寄り立てる。左差し手を抜いて白鵬の胸を押す。押し出し! 寄り切り! 稀勢の里の勝ち! 白鵬の連勝が63で止まりました」
白鵬は、正面審判長の右隣にお尻から落ちました。この後の二人が実に立派でした。白鵬は口がちょっと開きましたが、すぐ立ち上がる。勝った稀勢の里は、顔を真っ赤にして西土俵に戻り、東の土俵に戻る白鵬を待って二人はきちんとお辞儀をし、稀勢の里は荒い息遣いを抑えながら勝ち名乗りを受けました。敗れた白鵬は太ももをたたくでもなければ、天を仰ぐわけでもなく、何事もなかったように礼をして淡々と引き上げる。稀勢の里もガッツポーズをするわけでもなく顔だけは紅潮させていました。
これは勝者も敗者も実に「抑制の美」を貫いた好勝負で、まさに双葉山の「木鶏の精神」を彼ら二人が土俵で実証してくれたと思いました。私は翌日の読売新聞の朝刊に「両者を讃える」というコメントを残したのです。そうしたところ、稀勢の里の師匠の鳴戸親方(おしん横綱と言われた隆の里)が、
「杉山さん、ありがとうございました。あの新聞を拡大コピーして稀勢の里に渡しました」と言ってくれました。私はそれを思い出すと今でも涙が出てきます。鳴戸親方は土俵の鬼、若乃花の弟子です。その指導を受けた孫弟子のような稀勢の里が、「勝って奢らず」という「抑制の美」を受け継いでいたのです。
一方、白鵬は私に「木鶏とはどういう意味ですか?(注:前編参照)」と聞いてきました。私はそれに対し、その意味を詳細に記して白鵬に手渡しました。この時の二人はまさに双葉山の精神を見事に受け継ぎ、日本の相撲文化をきちんと伝承してきたと思いました。