第一弾 天地真理、安達明、久保浩、美樹克彦、あべ静江
文・渋村 徹
企画協力&プロマイド提供:マルベル堂
終戦後の焼け跡に並木路子が歌う「リンゴの唄」が流れて以来、
歌謡曲は昭和を生きる人々の心にいつも寄り添ってきた。
昭和25年にはNHKラジオ第1で、歌謡番組「今週の明星」の放送が開始され、
NHK連続テレビ小説「エール」の主人公として知られる
古関裕而作曲のオープニングテーマ曲が流れると
お茶の間には家族全員が集まってラジオに聞き入った。
昭和28年から31年にはテレビでもラジオと同時放送された。
以来、昭和には多くの歌番組がテレビで放送され、
歌番組は映画と並び庶民の大きな娯楽になった。
現在地上波で放送されている歌番組はNHK「うたコン」、
フジテレビ系「SHIONOGI MUSICFAIR」などわずかで
歌謡曲ファンは、懐かしい歌声や映像が映し出されるBS放送を見る。
その人それぞれに、時代を超えて語り継ぎたい歌があり、歌手がいる。
たとえヒット曲が1曲しかない歌手でも、ある人にとっては忘れられない歌手であり、
その歌声は永遠に心に刻み込まれている。
今回の特集では、昭和に登場し、人々の心に残る歌を歌った15人の歌手たちを3カ月にわたり、毎月5人ずつプロマイド写真と共に紹介してみたい。
すでに鬼籍に入っていたり、引退したり、現在歌声をなかなかテレビで聴くことが難しい歌手たちである。
テレビの歌番組に夢中になっていたあの頃を、今再び。
昭和30年代の日曜日のお昼時、テレビから流れてきた、司会の玉置宏(たまおき ひろし)の名調子「一週間のごぶさたでした」。公開歌番組TBS系「ロッテ歌のアルバム」がスタートしたのは昭和33年だった。長嶋茂雄が巨人軍に入団した年である。ウエスタンカーニバル人気などでロカビリー旋風が巻き起こっても、多くのグループサウンズが登場したGSブームにあっても首尾一貫して歌謡曲指向を貫いた歌番組だった。司会の玉置宏は放送1000回を迎えた昭和52年8月7日まで司会を務めた。橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦の〝御三家〟を育てた番組と言ってもいいだろう。だが、橋、舟木、西郷がそろって番組に出演したのは、500回記念だとか、正月の特番などに限られていて、今では考えられないようなスペシャル感があった。この番組に出演することが一流のあかし、と歌手にとって憧れの番組でもあった。
翌年にはフジテレビ系でも「歌の饗宴」がスタートしている。昭和38年には日本テレビ系が「百万ドルの饗宴」をスタートさせ、各レコード会社の人気歌手が一同に集まり、多くの視聴者を喜ばせた。さらに翌年には、NHK「歌のグランドショー」が始まり、昭和40年代にはTBS系「歌謡曲ベストテン」「歌のグランプリ」、フジテレビ系「今週のヒット速報」と、毎日のようにいずれかの局で歌番組が放送されており、歌謡曲は人々の生活にますます浸透していった。
前田武彦と芳村真理の司会で昭和44年にスタートしたフジテレビ系「夜のヒットスタジオ」は、オープニングで出演歌手がリレースタイルで次の歌手の持ち歌を歌って紹介するという手法も新鮮で、コンピュータによるスターの相性診断などの企画も人気を呼び、42.2%という驚異的視聴率をあげている。そして昭和54年にはデータに忠実にランキングを発表するTBS系「ザ・ベストテン」が開始。黒柳徹子と久米宏の軽妙なやりとりに加え、全国津々浦々、ベストテン入りした歌手を追いかけ、時には駅のホームや空港からの中継という生放送ならではの速報性と同時性を発揮し、歌手の〝今の瞬間〟をとらえ、人気番組となり、新しい歌謡番組を開拓した。
また、昭和30年代から40年代には、「コロムビア・アワー」をはじめ、東芝、テイチク、ビクターなど各レコード会社協賛の自社所属の歌手を出演させる歌謡番組があり、視聴者も、歌手がどこのレコード会社に所属していたかをよく知っていた。
そしてその年の大晦日に放送される「日本レコード大賞」と「NHK紅白歌合戦」には、一年の総決算的にその年のヒット曲を歌う歌手が勢ぞろいするという醍醐味が待っていた。紅白歌合戦でも現在のような中継はなく、人気歌手全員が一堂に会して歌を披露するというのがよかった。登場順も歌う楽曲の事前告知もされていなかった。レコード大賞ノミネート曲は、いずれも誰もが口ずさめるよく知っている曲ばかりだった。