岩谷時子の作法
シャンソンと流行歌とミュージカル
コモレバ Vol.27 SPECIAL FEACURE 2016年4月1日号より
岩谷時子には大きく3つの顔がある。まずは、宝塚時代に出会い、生涯を通して越路吹雪のマネージャーを務め、「愛の讃歌」をはじめ越路が歌ったシャンソンの訳詞を手がけたこと。次に、「恋のバカンス」「君といつまでも」「夜明けのうた」「恋の季節」「男の子女の子」など流行歌の作詞家としての顔。人気テレビドラマ「サインはV」や「アテンションプリーズ」の主題歌の作詞も岩谷時子である。そして、あまり語られてはいないかもしれないが、劇団四季の『ジーザス・クライスト=スーパースター』『ウェストサイド物語』、東宝の『レ・ミゼラブル』『ミス・サイゴン』などの上演訳詞を手がけ日本でのミュージカルの発展に貢献した功労者としての顔がある。そのすべての仕事からは、岩谷時子の人間性が香り立つ作法のようなものがうかがえる。出会ったすべての人々に「品性の人」と称えられる岩谷時子の大いなる遺産を紹介しよう。
企画協力・写真提供=公益財団法人 岩谷時子音楽文化振興財団、 草野浩二氏
参考図書=田家秀樹著『歌に恋して ─ 評伝・岩谷時子物語』
文=田家秀樹
「品性」という穏やかなオーラ
こんなに素敵な老婦人がいるんだ―。
岩谷時子さんに初めてお会いした時の印象はそれだった。
2006年の冬だ。
彼女が90歳になる直前である。
年齢的に言えば、間違いなく〝老〟という言葉をつけざるを得ない。でも、こうやって書きながらでも〝老婦人という呼び方にどこかためらいを感じてしまう。
しなやかで柔らかな物腰、包み込むむようであどけない笑顔、つつましく控えめな口調、楚々として、それでいて匂い立つようなたたずまい。その場にいるだけで癒やされてしまうような穏やかなオーラは、僕等が思い浮かべる〝老人〟とは相当に違うばかりか、経験したことのないものだった。
雑誌や新聞などで写真は拝見していたし、そういう人だろうと想像はしていた。でも、作家と呼ばれる人で、文体や作品と実際の人物が一致しないという例は少なくない。
彼女は、そうではなかった。
目的は元東芝EMIのプロデューサー、草野浩二氏の提言による「毎日新聞」のための取材だった。それから一年以上続いた連載を書くために定期的に当時、岩谷さんの常宿であった帝国ホテルに向かった。
それは夢のような時間だった。
筆者は1946年生まれであり、音楽について書いたり喋ったりすることを生業としている。当然のことながら、
彼女が作詞家として活動していた時代の姿は知らない。
でも、そうやって会っていた時の彼女は、僕等が日常的に会うアーティストとも明らかに違っていた。
何が違っていたのか。
一言で言ってしまえば〝品〟だった。
業界の匂いがしない。
俗世間の灰汁や汚れを感じさせない。地位や名誉をひけらかす偉ぶったところがない。成功した人間特有の自己顕示がない。時にユーモアを交えた口調には関西の庶民的な親しみもあった。
それはまさしく岩谷時子だった。