ザ・ピーナッツと加山雄三との出会い
〈今ネ、靴下なおしてるのよあなたの 好きな 黒い靴下〉
僕が最初に彼女を意識した曲が、1962年3月に出たザ・ピーナッツの「ふりむかないで」だった。
清潔なエロチシズムは歌ったのがザ・ピーナッツだったからだ。もし、豊満な肉体の大人の歌手だったら中学生だった僕らには到底手の届かない歌だったはずだ。
1960年代は、敗戦の復興から高度成長の入り口に立った日本が最も希望に満ちていた時代。〝戦後強くなったのは女性と靴下だけだ〟という二つの要素が織り込まれた時事的な歌でもある。青春が青春として輝いていた60年代の幕開けを飾った曲だった。
岩谷時子には切っても切れない歌い手と作曲者がいた。歌い手の一組がピーナッツで、作曲家の一人が宮川泰である。彼が曲を書いた「恋のバカンス」こそ、当時、作詞・岩谷時子というクレジットが与えたみずみずしい衝撃の最たるものだった。
何しろ始まりが〈ためいきの出るようなあなたのくちずけ〉だった。
そして、こう続いたのだ。
〈裸で恋をしよう 人魚のように〉
こんな直接的な歌詞に出会ったことはなかった。女性歌手が〈裸〉という言葉を歌う。恋と裸。その二つの言葉が全てを想像させて、それでいてセックスを感じさせない。彼女は自分でも「もっと肉体的な歌い手さんだったら、さすがの私も照れてしまって書けなかったかもしれないですね」と話していた。自ら「大胆不敵な歌ですね」と述懐した歌の決め手は、それが〝乙女ごころ〟の夢だったことだ。敢えてタブーに踏み込みつつ、下品にならない。それこそ、岩谷時子だった。
この歌の前に、〈バカンス〉という言葉を知っていた日本人がどのくらいいただろう。
男性の歌い手と言えば、加山雄三をおいていない。
加山雄三は、ことある毎に「彼女と出会わなかったら今の僕はない」と公言している。エルビス・プレスリーでロックに目覚め、「日本語で歌うなんて芋だ」と、英語で歌うことにしか興味がなかった彼に「日本語で歌ってみたら」と勧めたのが彼女である。彼は「鼻歌のようなテープを渡すと、次の日に譜面にきちっと言葉が載ってくる。天才だと思いました」と話していた。
いくつもの曲が浮かんでくる。「君といつまでも」「旅人よ」「海 その愛」。どれも従来の歌謡曲とは違う洗練されたメロディに情景やストーリーを浮かべさせる言葉。作詞・岩谷時子、作曲・弾厚作というコンビは、作詞・永六輔、作曲・中村八大と並ぶ、僕等の青春のシンボルだった。



