—老体からは逃げられない。でも笑い飛ばすことは出来る—
萩原 朔美さんは1946年生まれ、11月14日で紛れもなく77歳を迎えた。喜寿、なのである。本誌「スマホ散歩」でお馴染みだが、歴としたアーチストであり、映像作家であり、演出家であり、学校の先生もやり、前橋文学館の館長であり、時として俳優にもなるエッセイストなのである。多能にして多才のサクミさんの喜寿からの日常をご報告いただく、連載エッセイ。同輩たちよ、ぼーッとしちゃいられません!
連載 第18回 キジュからの現場報告
買い物の傾向がガラリと変化した。
以前は入ったことがなかった、日用品の店や、食器類の店などを頻繁に覗いてしまう。女性客ばかりの店内に突入するのはかなり勇気が必要だったけれど、今ではおばさん気分満載の自分がいる。カラフルな箸とか、刺子のコースターとか、動物型の箸置きなどを買ってしまうのだ。
気分良くなるモノに囲まれて日々を過ごしたくなったのだ。納豆をかき混ぜる専用の陶器とか、無駄だけど可愛いく思えるモノが特に気に入っている。以前なら考えられない。
加齢と言う現象は、好みの変化のことかも知れない。野菜などほとんど食べなかったのに、今や三食兎のようだし、コーヒーは飲めなかったのに、豆を挽くのが楽しくって仕方がない。
反対に興味が薄れ無頓着になったのがファッション。ユニクロで充分。
そう言えば、玉三郎さんにインタビューした時、身につけるものは全て自然素材のものにしている、と言っていた。それが身体にいいらしい。私なんぞ、全身安価な人工素材だから、冬になると、身体全体が発電してしまい、パチパチしまくっている。
私が行く日用品の店は、大抵女性モノの衣服も売っている。麻や絹製だ。店のコンセプトが自然志向なのだ。男性向けの衣服も揃えてくれたら、私もナイロンから脱出できるのになあ。(笑)
第16回 年齢とは一筋の暗闇の道
第15回 今こそ<肉体の理性>よ!
第14回 背中トントンが懐かしい
第13回 自分の街、がなくなった
第12回 渡り鳥のように、4箇所をぐるぐる
第11回 77年余、最大の激痛に耐えながら
第10回 心はかじかまない
第 9 回 夜中の頻尿脱出
第8回 芝居はボケ防止になるという話
第7回 喜寿の幕開けは耳鳴りだった
第 6 回 認知症になるはずがない
第 5 回 喜寿の新人役者の修行とは
第4回 気がつけば置いてけぼり
第3回 片目の創造力
第2回 私という現象から脱出する
第1回 今日を退屈したら、未来を退屈すること
はぎわら さくみ
エッセイスト、映像作家、演出家、多摩美術大学名誉教授。1946年東京生まれ。祖父は詩人・萩原朔太郎、母は作家・萩原葉子。67年から70年まで、寺山修司主宰の演劇実験室・天井桟敷に在籍。76年「月刊ビックリハウス」創刊、編集長になる。主な著書に『思い出のなかの寺山修司』、『死んだら何を書いてもいいわ 母・萩原葉子との百八十六日』など多数。現在、萩原朔太郎記念・水と緑と詩のまち 前橋文学館の館長、金沢美術工芸大学客員教授、前橋市文化活動戦略顧問を務める。 2022年に、版画、写真、アーティストブックなどほぼ全ての作品が世田谷美術館に収蔵された。