—老体からは逃げられない。でも笑い飛ばすことは出来る—
萩原 朔美さんは1946年生まれ、11月14日で紛れもなく77歳を迎えた。喜寿、なのである。本誌「スマホ散歩」でお馴染みだが、歴としたアーチストであり、映像作家であり、演出家であり、学校の先生もやり、前橋文学館の館長であり、時として俳優にもなるエッセイストなのである。多能にして多才のサクミさんの喜寿からの日常をご報告いただく、連載エッセイ。同輩たちよ、ぼーッとしちゃいられません!
連載 第22回 キジュからの現場報告
天候に左右されて、長い間外出できなかった。そんな時は、部屋の中をうろうろし、自分を撮影する事している。常に何かしらにレンズを向けていないと、忘れ物をしたかのような気持ちになってしまうのだ。
先月は、台風がゆったりしていたので、やたら自分撮り写真ばかり増えてしまった。
しかし、つくづく携帯は自撮りというジャンルを定着させたなあと思う。自分にレンズを向ける事に何の抵抗感も起こらない。16ミリや8ミリフイルムの時代は、頻繁に自分を被写体にはしなかった。劇場映画の監督も、カメラで自撮りはしていない。
画家は自画像を描いた。写真は、セルフポートレート。ビデオが出現すると、初期のビデオアート作品では作者自身が多く登場した。その延長で、携帯が自撮りを流行らせたのかも知れない。
不思議なのは、彫刻家は、自分をモデルにした立体像がほとんどない。何故なのだろうか。雨が激しく降る日に、自分を撮影しながら、ふと、それをテーマにして、本を書こうと思った。
「彫刻家は何故自分を作らないのか」
テーマが浮かぶと、宿題を与えられ生徒の様な気持ちになって、やる気が起こるのだ。だれもテーマは与えてくれない。自分で出題し自分で回答する。
それって人生そのものだな。(笑)
第21回 楽しい会議は老化を防ぐ
第20回 記録はアートになりたがる
第19回 老いが追いかけてくる
第18回 気がつけばおばんさん気分
第17回 新しい朝が来た、希望の朝だ♪
第16回 年齢とは一筋の暗闇の道
第15回 今こそ<肉体の理性>よ!
第14回 背中トントンが懐かしい
第13回 自分の街、がなくなった
第12回 渡り鳥のように、4箇所をぐるぐる
第11回 77年余、最大の激痛に耐えながら
第10回 心はかじかまない
第 9 回 夜中の頻尿脱出
第8回 芝居はボケ防止になるという話
第7回 喜寿の幕開けは耳鳴りだった
第 6 回 認知症になるはずがない
第 5 回 喜寿の新人役者の修行とは
第4回 気がつけば置いてけぼり
第3回 片目の創造力
第2回 私という現象から脱出する
第1回 今日を退屈したら、未来を退屈すること
はぎわら さくみ
エッセイスト、映像作家、演出家、多摩美術大学名誉教授。1946年東京生まれ。祖父は詩人・萩原朔太郎、母は作家・萩原葉子。67年から70年まで、寺山修司主宰の演劇実験室・天井桟敷に在籍。76年「月刊ビックリハウス」創刊、編集長になる。主な著書に『思い出のなかの寺山修司』、『死んだら何を書いてもいいわ 母・萩原葉子との百八十六日』など多数。現在、萩原朔太郎記念・水と緑と詩のまち 前橋文学館の館長、金沢美術工芸大学客員教授、前橋市文化活動戦略顧問を務める。 2022年に、版画、写真、アーティストブックなどほぼ全ての作品が世田谷美術館に収蔵された。