プラットホームに発車のベルが鳴り響くと堰を切ったように人々の感情が動き出す。
戦時中の出征兵士とそれを見送る家族には覚悟を迫られる最後の合図にも聞えたであろうし、高度経済成長期に臨時に仕立てられた集団就職列車で地方の農村から大都市へと向かう子供たちには親元を離れる寂しさと不安が一気に募る哀しい響きであり、恋の道行きの男と女には、前へ進むか後戻りするか思案の最終通告の音だったかもしれない。
昭和の時代、駅という場所は出会いよりも別れの舞台という色合いが濃く、駅での別れにはそれぞれのドラマがあった。今、電車の発車音はメロディ音になり別れのイメージも薄らいできたような気がする。
駅の別れ
~プラットホームでのそれぞれのドラマ~
文=川本三郎
昭和の風景 昭和の町 2016年1月1日号より
メロドラマの王道的な駅のホームのすれ違い
鉄道の駅は別れの舞台になる。
列車に乗って去ってゆく者。プラットホームで見送る者。駅は別れの場所として人々に記憶されてゆく。
昭和の恋愛映画の代表作、昭和十三年(1938)に公開された野村浩将監督の『愛染(あいぜん)かつら』には有名な駅の別れがある。
ヒロインの高石かつ枝(田中絹代)はいまふうに言えばシングルマザー。子供を抱えて大病院で働く看護婦。院長の息子で医師の津村浩三(上原謙)に愛されるが、彼女は未亡人。津村の親に反対される。
二人は思い切って京都へ駆け落ちすることにする。
夜の十一時に新橋駅で待ち合わせる。ところが、その日、彼女の子供が病気になる。約束の時間が刻々と迫る。無論、まだ携帯電話などない時代。
彼女は仕方なく、子供を姉(吉川満子)に預けると、タクシーで新橋駅に駆けつける。
入場券を買って、階段を駆け上がり、ようやくホームに出ると、ああ、無情にも浩三を乗せた列車は走り出したところ。「浩三さま!」と叫んでも、もう声は届かない。
典型的なメロドラマの別れ。多くの観客の涙を誘い、映画は大ヒットした。昭和十三年と言えば、前年に日中戦争が始まっている。そんな時代にメロドラマがヒットする。まだ時代に余裕があったのだろう。
出征する父や息子をホームで見送る家族たち
戦争が長引くにつれ、駅は出征兵士を見送る場所になってゆく。
昭和十四年に公開された成瀬巳喜男監督の家庭劇『まごゝろ』では、最後、小学生の娘のいる父親(高田稔)が、駅(甲府駅)から列車に乗って出征してゆく。それを家族や町内会の人達が「万歳」と見送る。
戦争に行く父親を見送るのは、娘にとってつらいことだろうが、戦時中の映画だから、そこは明るく描いている。
当時の歌謡曲に「軍国の母」(作詞・島田磬也、作曲・古賀政男)がある。出征する息子を見送る母親の気持が、こう歌われている。
「名誉の戦死頼むぞと」「涙も見せず励まして 我が子を送る朝の駅」。そういう時代だった。
駅は人の心を感傷的にさせる
戦争が終って平和が戻り、駅は再び、恋愛映画に恋人たちの別れの場として登場する。
木下惠介監督の飛騨高山を舞台にした『遠い雲』(55年)。
高山の名家の青年(田村高廣)が夏の休暇に、東京から故郷に戻ってくる。彼には初恋の人(高峰秀子)がいる。二人は愛し合っていたが、彼女は家の事情で他の旧家に嫁いだ。いまは未亡人になっている。
再会した二人のあいだに恋が再燃する。東京へ駆け落ちすることになる。朝の高山駅で待ち合わせる。
先に来た青年が駅で待っている。遅れて彼女が来る。列車に乗ろうとするが、小さな子供を家に置いて来た彼女は乗るのをためらう。青年一人を乗せた列車が去ってゆく。
悲しい恋の別れになっている。
駅は人の心をどこまでも感傷的にするのだろう。
理知的な三島由紀夫でさえ『仮面の告白』では、きわめて感傷的な駅の別れを書いている。
終戦間近の昭和二十年の夏、東大生の「私は」、園子という女性と愛し合う。信州に疎開している彼女と別れ、東京に帰る。その別れの場面。
「列車が動き出した。園子の幾分重たげな唇が、何か口ごもっているような形をうかべたまま、私の視野から去った」「園子! 園子! 私は列車の一ト(ひと)と揺れ毎(ごと)にその名を心に浮べた」