アナログレコードの1分間45回転で、中央の円孔が大きいシングルレコード盤をドーナツ盤と呼んでいた。
昭和の歌謡界では、およそ3か月に1枚の頻度で、人気歌手たちは新曲をリリースしていて、新譜の発売日には、学校帰りなどに必ず近所のレコード店に立ち寄っていた。
お目当ての歌手の名前が記されたインデックスから、一枚ずつレコードをめくっていくのが好きだった。ジャケットを見るのも楽しかった。
1980年代に入り、コンパクトディスク(CD)の開発・普及により、アナログレコードは衰退するが、それでもオリジナル曲への愛着もあり、アナログレコードの愛好者は存在し続けた。
近年、レコード復活の兆しがあり、2021年にはアナログレコード専門店が新規に出店されるなど、レコード人気が再燃している気配がある。
ふと口ずさむ歌は、レコードで聴いていた昔のメロディだ。
ジャケット写真を思い出しながら、「コモレバ・コンピレーション・アルバム」の趣で、懐かしい曲の数々を毎週木曜に1曲ずつご紹介する。
スタッカートのテンポのいいリズムのイントロにのって、大ステージの階段を颯爽とかけおり、マイクの前に立つ舟木一夫。昭和40年のNHK紅白歌合戦は舟木の「高原のお嬢さん」で幕を開けた。白組司会者、NHKアナウンサーの宮田輝は「先攻白組は、先取点をあげたいところです。トップバッターが、まずホームランをかっ飛ばします」と舟木を紹介した。大晦日、当時は家族そろって紅白を観るのが、多くの家庭での楽しい行事だった。一緒に観ていた父が「舟木一夫は、やっぱり人気があるんだな」と言った。「ほら、カメラが林美智子(紅組司会者)や、藤村志保、入江美樹(ともに審査員。入江は世界的ファッションモデルで後に指揮者小澤征爾と結婚する)の表情をとらえてるだろ」と。確かに、林美智子や藤村志保はにこやかに微笑んでいたが、なぜそれが舟木が人気があることにつながるのか、小学生の僕にはピンとこなかった。カメラは観客の反応をとらえ、舟木の人気を証明していたのかもしれない。
21歳の舟木は明るい色合いのタキシード姿だった。2年前の初登場では学生服で「高校三年生」を歌い、翌年の2回目では、その年の大河ドラマ「赤穂浪士」に矢頭右衛門七役で出演していた縁で、「右衛門七討入り」を討入装束で歌ったから、紅白3回目にして初のタキシード姿だった。紅白に、連続テレビ小説や大河ドラマの関係者たちが数多く出演し、番組に花を添えるようになったのも、この年あたりからである。司会の林美智子は前年のテレビ小説「うず潮」のヒロインを演じ爆発的人気を得たことでの起用だった。審査員の藤村志保は、その年の大河ドラマ「太閤記」にねね役で出演しており、同じく緒形拳は「太閤記」の主役の秀吉であり、翌年の大河ドラマ「源義経」にも弁慶役での出演が決まっていた。審査員には作家の円地文子も選ばれていた。僕は中学生のころ、円地の現代語訳で『源氏物語』と出会い、『源氏物語』を原文で読むようになり、後に大学の卒業論文で、『源氏物語』を題材に「茜のひと 六条御息所考」を書いた。
舟木もまた、「源義経」に、一の谷で熊谷直実に討たれる平敦盛役で出演することが決定していた。原作者であり脚本も担当した村上元三の推挙だったときく。応援合戦では、舟木、西郷輝彦、三田明といった、当時の若手アイドルたちが牛若丸の扮装で登場するが、同じく「源義経」で演じる静御前の扮装で紅組の応援として登場した藤純子(現・富司純子)に、「そちらは憎き頼朝様の白組陣営。静はこちらにおりまする」と手招きされるや、ホイホイと紅組陣営に取り込まれる舟木らの姿が会場を笑わせた。