「百恵ちゃん」が「百恵さん」に変わった。
山口百恵の13枚目のシングル「横須賀ストーリー」を初めて聴いたとき感じたことだった。それは当時小学校の高学年だった私にもはっきりとわかる違いだった。
歌い出しの歌詞も印象的だったが、急な坂道をかけ上ると、目の前に海が開けるという風景に、周りは山しか見えない田舎で育った私には見果てぬ世界で、「横須賀」という街に憧れを抱いたのだった。
今年は、知り合いの朗読劇の鑑賞や、稲垣潤一のコンサート、韓国の若手ピアニストのリサイタルと、何度か横須賀に行く機会があった。先日、京浜急行電鉄「横須賀中央駅」に降りたとき耳にしたのが、接近メロディとして使われている「横須賀ストーリー」だった。
1976年6月21日、CBSソニーからリリースされた「横須賀ストーリー」は、作詞・阿木燿子、作曲・宇崎竜童のコンビによる。宇崎竜童はデビュー当時、リーゼントにサングラス、服は「つなぎ」という暴走族的なイメージ。率いる「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」のメンバーも不良っぽさが残るグループだった。「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」はデビュー1年後の75年、「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」が大ヒットした。語りと決めゼリフの「アンタ、あの娘の何なのさ!」は、クラスの男子がよく真似をして笑わせてくれた。
山口百恵にとって、小学校2年の終わりから中学2年の終わりまでを過ごした「横須賀」は、特別な思い入れがあった。街の名前を聞いただけで胸がしめつけられるような懐かしさを覚える土地だったという。ラジオ番組の共演や、宇崎の歌う「涙のシークレット・ラヴ」を気に入った山口百恵が「宇崎さんの曲を歌ってみたい─」と、マネージャーらに直訴した。しかし、すんなりとは受け入れられたわけではなかったようだ。その後正式な依頼で宇崎と阿木のコンビは「横須賀ストーリー」「碧色の瞳」など4曲をアルバム用に提供した。ところが「横須賀ストーリー」は、アルバム『17才のテーマ』には入らなかった。プロデューサーの酒井政利は、「これは、シングルにさせていただきます」と言って、6カ月も寝かせ、時期を狙ってシングル盤でリリースさせた。ふたを開ければ累計売上は81万枚を記録、それまでの最大のヒットシングルとなった。
作詞の阿木は、両親が横須賀在住だったという共通項もあり、タイトルを決めて曲作りに入った。「横須賀ストーリー」は、それまでのアイドル路線を脱皮し、大人の階段をのぼり始めた山口百恵第二章の始まりの曲といえるのだろう。80年10月の引退会見では、自身の曲の中で「横須賀ストーリー」が一番好きだと答えている。
その後、阿木と宇崎が手がけた曲は、「夢先案内人」「イミテーション・ゴールド」(77)、「乙女座 宮」「プレイバックPart2」(78)、「絶体絶命」「美・サイレント」(79年)、「しなやかに歌って」「愛の嵐」(79)、「謝肉祭」「ロックンロール・ウィドウ」「さよならの向う側」(80)など矢継ぎ早に発表される新曲はことごとく新たな広がりをみせ大ヒットした。曲ごとに変わる髪形や衣装、ますます美しくなっていくのが、テレビ画面から伝わってきた。
本棚の奥から、山口百恵の自叙伝『蒼い時』を取り出し読み返してみた。執筆に際し山口百恵は、自分のネーム入りの原稿用紙を100冊作り、気に入った紺色の万年筆で1マス1マス埋めた。本人は、自叙伝というのは恥ずかしいので、「風従の記」としているが、一人の女性が、自らの手で飾りのない心の内を記している。序章には「私の原点は、あの街─横須賀」。そして「最後に、これまで私を支えてくださった多くの方々に、心から─ありがとうございました。倖せになります。 山口百恵」と結んでいる。
芸能人としての活動期間は8年弱。引退した時は21歳だった。マイクを置き、カメラの前から姿を消して40年以上が経つが、私たちは山口百恵という名前を忘れることはない。
いろいろある山口百恵の楽曲の中でも、「横須賀ストーリー」は私にとっても一番のお気に入りなのである。
文=黒澤百々子
アナログレコードの1分間45回転で、中央の円孔が大きいシングルレコード盤をドーナツ盤と呼んでいた。
昭和の歌謡界では、およそ3か月に1枚の頻度で、人気歌手たちは新曲をリリースしていて、新譜の発売日には、学校帰りなどに必ず近所のレコード店に立ち寄っていた。お目当ての歌手の名前が記されたインデックスから、一枚ずつレコードをめくっていくのが好きだった。ジャケットを見るのも楽しかった。1980年代に入り、コンパクトディスク(CD)の開発・普及により、アナログレコードは衰退するが、それでもオリジナル曲への愛着もあり、アナログレコードの愛好者は存在し続けた。
近年、レコード復活の兆しがあり、2021年にはアナログレコード専門店が新規に出店されるなど、レコード人気が再燃している気配がある。
ふと口ずさむ歌は、レコードで聴いていた昔のメロディだ。ジャケット写真を思い出しながら、「コモレバ・コンピレーション・アルバム」の趣で、懐かしい曲の数々を毎週木曜に1曲ずつご紹介している。