その数年後、歌って踊る朝ドラ『てるてる家族』で再会したときには、「こんなに楽しいものも書けたのね」とキラキラした笑顔で喜んでくださったことを、今でも嬉しく覚えています。ヒロイン一家のお祖母ちゃんを演じた藤村さんは、本当に最後までその役を楽しみ、台本以上の温もりと懐の深さを与えてくださいました。その存在感に視聴者も共演者もスタッフも魅了され、包み込まれたものです。その筆頭が私であったと思います。それゆえ、少し反省もしています。藤村さん演じるお祖母ちゃんは、初めからある週で亡くなる予定になっていたのですが、予定通り、その週がやってきて、もし藤村さんが演じていなければ、あれほど惜しまれることはなかったと思えるような別れを、視聴者も共演者も体験しました。しかし、予定と違ったのは、その翌週から、すぐに幽霊となって出てきてしまったことです。私が、その人物像をあまりに慕いすざていたため、未練を残してしまったのです。いつまでもこの世に引き留めてしまい、とうとう最終回まで活躍させてしまいました。それなら、あれほど泣いて別れを惜しんだのは一体何だったのかと視聴者に言われても仕方がないことだと後で気付きました。だけど、実際はそんなことも言われず、喜んでもらえたようなので、やっぱり多くの人が同じ気持ちだったのかもしれません。そうやって、藤村さんと一緒に創り上げた世界が、今でも故郷のように愛しく思えます。
それから、大河ドラマ『風林火山』では一転して、主人公・山本勘助にとっての敵役となる今川義元の母を演じてもらいました。公家の出でありながら女戦国大名とまでいわれた寿桂尼です。ここでは藤村さんの気品に満ちた色香と狂気が迸り、母性と野心を併せ持つリアルな人間寿桂尼が誕生しました。藤村さんは自ら調べ上げ、寿桂尼に近付いていったようで、まだ台本を書き出して間もない頃の私に直接、ある提案をしてくれました。
「最後に、義元の首(首桶)を抱きたいの」。
当然ながら、桶狭間の戦いが寿桂尼にとってもラストシーンになると思われてのことです。誤解をされては困りますが、それは俳優が台本に注文をつけるというようなレベルの話ではまったくありません。思えば、藤村さんの芝居に対する真摯さは、あの単発ドラマで出会ったときから何も変わっていませんでした。いや、それはその名の由来となったデビュー作、島崎藤村原作の『破戒』(市川崑監督) で「志保」を演じていたときから、真っ直ぐに繋がっていると思われます。その真っ直ぐに本質に向かおうとする眼差しで、大女優を前に緊張する駆け出しのライターだった私を見つめ、役の内面についてのみ熱心に訊きだそうとされていたとき、私は自分が試されているような気がして怖くなり、さすが、これがプロの俳優なのだと思っていましたが、それは違いました。それが「藤村志保」だったのです。藤村さんのようなプロ意識を持つ女優が、希有な存在であることは段々わかるようになりました。一つの役柄に、ひたむきに向き合うその姿勢には、自分を見せたいだけの俳優の気取りを感じる余地など微塵もありませんでした。それから時を経て、その提案を受けたとき、私は心で快哉を叫びました。そのアイデアが素晴らしかったからだけではなく、今では、その藤村さんからも信頼されていると思えたからです。同じ志を持ち寄っての密謀を交わしているような気がしたからです。あの名シーンは、そうして生まれたものでした。
藤村さんが、どんな役を演じても自然なリアリティを出せるのは、勿論、巧みな演技力に支えられたものですが、何より藤村さんの人間力によるものだと思っています。私はそんな藤村さんに、素晴らしい俳優と作品を創る喜びを教えてもらいました。それはどんな技術よりも、脚本を書く上で自分の支えになっています。藤村さんとの出会いは、私にとって一生の宝物です。