23.05.18 update

黒澤&小津、二人の巨匠が浮かんだ映画『逃げきれた夢』…生きることの切なさに胸が熱くなる物語

 試写を観終わって、席を立ちながらもう一度観てみたいと思った。リメイクとは全く違うが、黒澤明の『生きる』が浮かんだことと、巨匠・小津安二郎作品の人物の捉え方が似ているように感じ、確かめたくなったからだ。一映画ファンの戯言と一笑に付されることだろうが、二人の巨匠を彷彿とさせた弱冠37歳の監督・脚本の二ノ宮隆太郎への興味もわいた。

『生きる』の志村喬扮する市役所の市民課長と、光石研の定時制高校の教頭、どちらも普通で平凡のまま人生を仕舞うであろうと思われながら、ある日予期せぬ人生のターニングポイントに立っている。市民課長は癌を知り、教頭は記憶が薄れていく症状を自覚する。公園のブランコに揺れながら「ゴンドラの唄」を歌う志村の頬に涙が伝うシーンと、冒頭、白いシルエットがカーテンになり窓の向こうの公園でボール遊びに興じる子供たちが浮かんで、ベッドに座り込んでしばし茫然と佇んでいる光石が重なる。ともに生きることの儚さ、切なさが漂っている。

吉本実憂(左)と光石研 800人以上もの応募があったオーディションで吉本は選ばれた。

 小津安二郎が重なったのは、光石と元教え子(吉本実憂)との喫茶店でのシーン。小津独特のローアングルのキャメラワークではないが、途切れ途切れに延々と続いていく二人の会話の捉え方は、小津が撮った笠智衆と原節子のシーンのように顔と目で語らせている。僅かの言葉が発せられるワンシーンがアップで映されて、その口吻が見事に表情となり、カットバックが繰り返される。「先生、何か言ってよ」と問いかけられて、認知症を自覚する光石の言葉にならない困惑、教師の面目を保とうとする強い眼差しと作り笑いが交錯する。長い沈黙。元教え子は時に挑戦的で諦めと弱さと哀しみを口元に漂わせ、涙で目は光るが落とさない。見事としか言いようのない吉本実憂の演技を引き出している。小津的と言っては失礼かもしれない。ただ二人の対峙するシーンだけでももう一度観てみたいと思わせたのである。

二ノ宮監督のこだわりで、父親役は光石研の実の父〈光石禎弘)がつとめた。

[Story]

 舞台は北九州市。定時制高校の教頭として定年まで後一年を残す末永周平(光石研)は、毎日のように昼食をとりに定食屋に立ち寄る。この店には元教え子の平賀南(吉本実憂)が働いているが、ある日支払いを忘れて店を出てしまう。「俺、病気なんよ、忘れるんよ」、と平賀に告白する。記憶が薄れていく症状が、これまでの人生を見つめ直すきっかけとなっていく。冷え切った妻(坂井真紀)との仲、目を合わせずスマホに見入る娘(工藤遥)、定時制高校の生徒たちに教師として慕われることもなくリスペクトなど微塵もない、折角の旧友(松重豊)との邂逅も言い争ってしまう。自棄になっているわけでもないが、「いやー参った、どうしようかね、これから」と呟く人生のターニングポイントを迎えた周平から発せられる切ないひと言ひと言が響く。元教え子の平賀南が前途を問えば、言葉が出ない。「先生、何か言ってよ」と痛恨のひと言が周平に刺さる。「あのなぁ……学校辞めるわ、俺」と妻と娘に啖呵を切れば「辞めてどうするん?」と問い返されて、答えが出ない。人生の「これまで」とは何だったのか、自らに問いかけながら、新たな「これから」の暗中模索がつづく。(文:横田 治)

『逃げきれた夢』
光石研
吉本実憂 工藤遥 杏花 岡本麗 光石禎弘
坂井真紀 松重豊
監督・脚本:二ノ宮隆太郎
制作プロダクション:コギトワークス 配給:キノフィルムズ 

©2022『逃げきれた夢』フィルムパートナーズ
6月9日(金)より新宿武蔵野館、シアター・イメージフォーラムほか全国ロードショー

映画は死なず

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