2019年の内野聖陽主演の舞台『最貧前線』を観たときの記憶は、今でも鮮烈に残っている。内野が演じたのは、第二次世界大戦末期、軍に徴用された漁船の漁師役だった。その野性味たっぷりの漁師役は、小名浜で漁師体験をして臨んだというだけあって、内野の身体からは潮の匂いまでもが発散されているような臨場感にあふれていた。「小手先だけで立ち回るのはカッコ悪い、人生をかけるつもりで毎回めぐり合う役と対峙し演じている」という内野の言葉が、役を通して伝わってきた。説得力のある芝居に魅せられた興奮は、今も心が憶えている。そして、「自分の殻を破ることが一番の快感だ」と、インタビューでも言っている内野の間もなく開幕する舞台が『M.バタフライ』だ。
1960年代、文化大革命前夜の中国・北京が舞台。駐在フランス人外交官のルネ・ガリマールは、社交の場でオペラ『蝶々夫人』を披露した京劇のスター女優ソン・リリンに出会い、瞬く間に魅了され恋に堕ちていくが、その実、ソンは毛沢東のスパイであり、男だった……。あるフランス人外交官が国家機密情報漏洩という大罪を犯すほど愛におぼれた相手は、性別を偽った中国のスパイだったという事実を題材に、オペラ『蝶々夫人』を劇中に取り入れながら創作された戯曲で、88年に初演され、トニー賞最優秀演劇賞を受賞している。
今回の舞台でルネを演じるのが内野で、ソン役は岡本圭人が務める。89年の日本初演は劇団四季公演で、ルネを日下武史、ソンを市村正親が演じ、90年にも同キャストで再演されている。市村の妖艶さが記憶に残る。今回は90年以来、32年ぶりの上演となる。また、94年に日本でも公開されたデイヴィッド・クローネンバーグ監督の映画『エム・バタフライ』では、ルネをジェレミー・アイアンズ、ソンをジョン・ローンが演じ、話題になった。
ソンを演じる岡本圭人は、2018年から20年まで、アメリカ最古の名門演劇学校として知られるアメリカン・アカデミー・オブ・ドラマティック・アーツへ留学し、卒業後の21年には『Le Fils 息子』で、ストレートプレイ初舞台・初主演を飾り、岡本健一と父子役で、舞台共演が長年の夢だったという共演を果たしている。今回の舞台にも大きな期待が寄せられている。また、9月、10月には、ミュージカル『盗まれた雷撃 パーシー・ジャクソン ミュージカル』の主演も控えている。
演出を手がけるのは、劇団チョコレートケーキの主宰者であり、俳優としても多数の作品に出演しながら、劇団内外のさまざまな作品を手がけている日澤雄介。読売演劇大賞優秀演出家賞を3度受賞、紀伊國屋演劇賞 団体賞を受賞するなど、人物を丁寧に描き出す手腕が、演劇界で高く評価されている。会話劇の内に、人間味を凝縮させ、ある種の極限状態にいる者たちの深い部分にまで肉薄しながら、俳優たちから純度の高い感情表現を引き出し、生々しい人間ドラマを描き出すに違いない。
日澤の演出により、内野の何かが打ち破られるのではないかと期待する観客も多いだろう。観客以上に、内野自身が楽しみにしているに違いない。今回の役柄に、大いなる闘志をたぎらせながら向き合いつつ、どこかでニンマリしているのではないかと、つい想像してしまうのである。
原作:デイヴィッド・ヘンリー・ファン
翻訳:吉田美枝
演出:日澤雄介(劇団チョコレートケーキ)
出演:内野聖陽 岡本圭人 朝海ひかる 占部房子 藤谷理子 三上市朗 みのすけ
東京公演
〔公演日程〕6月24日(金)~7月10日(日)
〔会場〕新国立劇場 小劇場
〔問〕梅田芸術劇場0570-077-039(10:00~18:00)
大阪公演
〔公演日程〕7月13日(水)~7月15日(金)
〔会場〕梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ
〔問〕梅田芸術劇場06-6377-3888(10:00~18:00)
福岡公演
〔公演日程〕7月23日(土)~7月24日(日)
〔会場〕キャナルシティ劇場
〔問〕キョードー西日本0570-09-2424(平日・土日11:00~17:00)愛知公演
〔公演日程〕7月30日(土)~7月31日(日)
〔会場〕ウインクあいち 大ホール
〔問〕メ~テレ事業052-331-9966(祝日を除く月~金10:00~18:00)