実は『波の数だけ抱きしめて』は原田知世&織田裕二の予定でシナリオ打ち合わせをやっていた。馬場監督はホイチョイ3部作は「原田知世」の3部作でもあると。
ところが、『私スキ』→『彼女が水着』の時と同じようにキャスティングの番狂わせは、また起こるのである。
今度は映画のスケジュールと原田知世さんのコンサートのブッキングされた日程が合わなかった。原田さんはこの頃から本格的に歌手活動をしていることはわかっていたが、8月公開の映画で撮影を予定していた春にコンサートが既に決まってしまっていた。コンサートは、ずらせない。勿論、本人は出演希望だったが、どうしてもスケジュール調整が出来なかった。
これは監督ではなくプロデューサーの責任である。他の映画なら撮影をずらす方法も考えたが、夏休み公開の映画、しかも海での撮影は必須だ。しかも東宝の年間の映画パンフレットには公開日も記されている。「邦画系」のブッキングは、前年には公開日も決定し(今の演劇もそうだが)これを変更するのは大変な事だった。原田知世さん本人には了承してもらったが、とても申し訳なかった。
ホイチョイムービー3部作のラストは夏休み公開で、ヒットすることが各所から求められていた。
原田知世に代わる映画女優はいないと思った。『彼女が水着』の時のようなオーディションの猶予も無い。内外からは色々言われることは覚悟のうえで、中山美穂にお願いした。
結果は3部作で最もヒットした。共演の俳優陣にも恵まれた。