第11回 成城に住んだ映画人 Vol.2 

1932年、東宝の前身であるP.C.L.(写真化学研究所)が
成城に撮影用の大ステージを建設し、東宝撮影所、砧撮影所などと呼ばれた。
以来、成城の地には映画監督や、スター俳優たちが居を構えるようになり、
昭和の成城の街はさしずめ日本のビバリーヒルズといった様相を呈していた。
街を歩けば、三船敏郎がゴムぞうりで散歩していたり、
自転車に乗った司葉子に遭遇するのも日常のスケッチだった。
成城に住んだキラ星のごとき映画人たちのとっておきのエピソード、
成城のあの場所、この場所で撮影された映画の数々をご紹介しながら
あの輝きにあふれた昭和の銀幕散歩へと出かけるとしましょう。


成城シネマトリビア─語り継ぐ映画村

文:高田 雅彦

 最近の日本映画の監督で〝成城住まい〟として有名なのは、何といっても山田洋次(かつては祖師谷団地から大船に通った)と犬童一心のお二人だろう。ほかにも名前は挙げられないが数多くの俳優諸氏が、ここ成城の住人に名を連ねている。今はなき大林宣彦監督や黒澤明、本多猪四郎らも含め、成城はまるで〝映画人コミュニティ〟のような街なのだ。

 さて、今回は成城の北側、五丁目から八丁目にかけて住んだ映画人たちを取り上げてみたい。

『若大将』シリーズで、雄一の父・久太郎を演じた有島一郎 イラスト:岡本和泉

  京マチ子邸の3ブロックほど東(成城五丁目にあたる)には、軽妙なキャラで知られる喜劇俳優・有島一郎邸があった。『若大将』シリーズでは加山雄三(若大将自身も長らく八丁目=稲垣浩邸斜向かいに居住した)の父親役を演じ、他にも『キングコング対ゴジラ』(62年)の多湖部長、『100発100中』(65年)の手塚部長刑事、『クレージー黄金作戦』(67年)の北川常務など、その珍妙なる演技で我々東宝映画マニアを大いに楽しませてくれた。一時、敷地内に地番(五丁目)を冠した「5スポット」という喫茶店(お嬢さんが仕切っていた)を持ったこともあるが、敷地の一部は今や某有名タレント氏の「ベース」となっている。

 五丁目には深作欣二監督と中原早苗夫婦が住み、子息の深作健太は成城学園に通う〝成城っ子〟から映画監督になった。中原は、成城の隣町、砧八丁目にお住いだった藤村俊二のご夫人とともに、筆者行きつけのスナックでよくご一緒したものである。

 ‶日本映画の父〟牧野省三の息子であるマキノ正博(雅弘:41年から東宝で作品を発表)と、‶喜劇の神様〟斎藤寅次郎(37年、東宝移籍)(註1)の家は成城六丁目の青柳信雄邸のすぐ近くにあった。青柳の孫にあたる青柳恵介氏(註2)は少年時代に、庭いじり中の斎藤監督から歯切れのよい〝べらんめえ〟口調で声をかけられたことと、青柳邸にはしばしば黒澤明が訪れ、酒を酌み交わしては映画談義に花を咲かせていたことをよく憶えているという。

 両監督邸のすぐ近所には、ご存知‶世界のミフネ〟三船敏郎と脚本家の重鎮・八住利雄の家があった。三船が成城学園の評議員を務めていたことを知る方は、今やほとんどいらっしゃらないだろう。三船史郎さん同様、成城学園で学んだ八住の子息・白坂依志夫は、同じくシナリオライターとして一世を風靡することになるが、いくつかの自作が成城でロケされているのは、青柳信雄監督同様、地元愛が強かったためであろう(註3)。

 怪獣映画『モスラ』(61年)の原作を担った小説家・福永武彦も、1965年頃から成城(六・七丁目)や祖師谷に住んだ。大林宣彦監督が83年に発表した小品『廃市』は、この方の短編小説をもとにしている。脚本家としては、黒澤映画でお馴染みの井手雅人もまた成城の住人であった。

 やはり近所住まいだった加藤剛(註4)は、『上意討ち 拝領妻始末』(67年/東宝=三船プロダクション製作)の撮影時には、三船自身の運転する車でよく家まで送ってもらっていたという。小林正樹監督の撮影手法(〝中抜き〟を一切しないので手間を食う)にヤキモキしながらも、俳優仲間の加藤のことは大切に扱った三船の優しさが心に染みる。

青柳信雄、斎藤寅次郎が住んだ桜並木通り。この通りでは『銀座カンカン娘』(49年)や『サザエさん』シリーズ(56〜61年)などが撮影された(筆者撮影)
三船敏郎邸があった辺りには、今や何軒もの家がひしめく。右に行けば、三船が愛車で「バカヤロー」攻撃を仕掛けた稲垣浩邸がある(筆者撮影)。右は稲垣監督 イラスト:岡本和泉

 先述のとおり、三船敏郎が六丁目に新婚家庭を持った1950年当時は、すぐ北側の成城七丁目に志村喬が居住。風呂も志村邸で入れさせてもらう、という非常に親密な間柄にあった。その志村は、ご夫人同士が宝塚歌劇団以来の付き合いを続ける俳優・岸井明邸(成城二丁目:33年、笑いの王国からP.C.L.入社)をしばしば訪れていたという。『七人の侍』では勘兵衛の女房役・七郎次を演じた加東大介も、西側の成城八丁目に居住していたので、‶七人の侍〟のうち四人までもが成城の住人だったことになる。

 当の黒澤監督の終の棲家となったのは、加東邸のすぐ西側のマンション(四丁目)の一室。ここは本多猪四郎邸のすぐ傍で、二人して野川沿いにあったゴルフ練習場に通った話もよく知られる。

志村喬の代表作は、渡辺勘治を演じた『生きる』で間違いなし? イラスト:岡本和泉

 ちなみに、志村喬は成城内での引っ越しを経験しており、のちに千秋実邸からも程近い四丁目の住人となる。千秋邸の斜め前に住んだのが、日活の人気スター・石原裕次郎(一丁目から転居)。『黒部の太陽』(68年)を共同で製作するにあたっては、三船が石原邸を訪れたり、石原もまた三船邸に飲みに行ったり、を繰り返していたのであろう。

 三船邸のすぐ西方には、第1期東宝ニューフェイスの同期・堀雄二が住み、やはり子息を成城学園に通わせていた。三船の長男・史郎氏も成城学園の中・高時代は、自宅が「チャイムが鳴ってからでも間に合う」(本人談)ほどの近場だったので、通学には最適な環境にあったことになる。

 衆議院議員・相沢英之氏との結婚後、長らく稲垣浩監督邸の隣にお住いの司葉子さんも、結婚前は成城学園のすぐ近所にお住まいであった。大学正門近辺には、『スーパージャイアンツ』(新東宝)や〝赤いシリーズ〟(TBS/大映テレビ)などで成城ロケの経験が多かった宇津井健、悪役・政治家役で名を馳せた神田隆、のちに岡本喜八作品でその名を高めた高橋悦史が家を構え、時折その姿をお見かけしたものだ。

 成城七丁目に目を移すと、砧から越してきた成瀬巳喜男邸があり、黒澤映画のスクリプター・野上照代の家もすぐ近くにあった。『影武者』で黒澤とひと悶着あった勝新太郎と中村玉緒も、野上とご近所の時代があったが、のちに三丁目に転居している。

 この辺りでは、小説家・大岡昇平のことを書かないわけにはいかない。旧制成城高等学校出身者でもある大岡には、『武蔵野夫人』や『野火』など映画化された小説の他、『成城だより』という日記文学があり、この書には文学や映画などとともに、成城の街や店のことが多く取り上げられている。小説家では、『飢餓海峡』で有名な水上勉も長く成城(六丁目)住まいで、その跡地はいかにも成城らしい低層階マンションになっている。

社屋の隣につくられた三船芸術学院 写真提供:寺島映画資料文庫

 成城八丁目には、三船プロダクションの社屋(トリッセンスタジオ)と江戸の町のオープンセットがあった。敷地の一部は、石原裕次郎がヨットを保管していた土地だったという。八丁目と最北端の九丁目に映画人は少なく、伊丹十三(註5)の父で大江健三郎の義父となる伊丹万作監督(37年に東宝移籍)、田崎潤と団令子、小説家・評論家の長部日出雄、現在でも俳優のZ・Iと「三船芸術学院」出身のT・Sらが住むにとどまる。元日活の宍戸錠も成城の駅前でよくお見かけしたが、家は隣町の上祖師谷にあった。

現在の三船プロダクション 撮影:神田亨

 成城某所には渡瀬恒彦が大原麗子と結婚して住んだ家もあったようだが、残念ながら場所は不明。次号では、成城の南側に住んだ映画人をご紹介したい。

(この項続く)

(註1)『男はつらいよ』の主人公・車寅次郎の名が、斎藤監督に因んでいるのではないかと睨んだ筆者は、知人を通じて山田洋次監督に真偽を確認してみたことがある。すると、その答えは「寅さんの姓は、漫画の『轟先生』(秋吉馨作)の「轟」から車を二つ取って「車」とした。名前のほうは落語の‶熊さん〟とも考えたが、今ひとつピンとこないので、寅さんにした」という実に意外なもの。公式見解は示されておらず、果たしてその真相は?

(註2)青柳恵介氏は、成城学園で三船史郎さん、女優の紀比呂子(三条美紀の息女)と同学年。白洲正子と親交が深く、白洲次郎研究や骨董品研究で知られる。青柳邸で酔った黒澤が必ず口にしたという「三つの話」は、また別の機会に。

(註3)筆者は実際、ご家族から「白坂は本当に成城が好きなんですよ」と聞いたことがある。

(註4)加藤剛に、成城に家を持つよう勧めたのは、上祖師谷在住の高橋元太郎とのこと(本人談)。

(註5)伊丹十三こと池内岳彦(本名は義弘)の少年時代にその面倒を見たのが、かの野上照代であることは、映画好きなら知らぬ者とてない逸話であろう。


高田 雅彦(たかだ まさひこ)
1955年1月、山形市生まれ。生家が東宝映画封切館の株主だったことから、幼少時より東宝作品に親しむ。黒澤映画、クレージー映画、特撮作品には特に熱中。三船敏郎と植木等、ゴジラが三大アイドルとなる。大学は東宝撮影所に程近いS大を選択。卒業後はライフワークとして、東宝作品を中心とした日本映画研究を続ける。現在は、成城近辺の「ロケ地巡りツアー」講師や映画講座、映画文筆、クレージー・ソングのバンドでの再現を中心に活動。著書に『成城映画散歩』(白桃書房)、『三船敏郎、この10本』(同)、『七人の侍 ロケ地の謎を探る』(アルファベータブックス)、近著として『今だから! 植木等』(同/2022年1月刊)がある。

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