23.03.16 update

【わが昭和歌謡はドーナツ盤】はじめは「なごり雪」を歌うことを拒んだイルカを諭した伊勢正三の一言

 世代を超えて歌い継がれている曲がある。イルカの歌った「なごり雪」もそのひとつだろう。とくに冬から春に変わるこの季節、街や駅のホームで袴姿の女子学生を見かけたりすると、脳裏に浮かんでくるのがこの曲だ。心に刻まれた名曲は覚えようとしなくてもいつの間にか諳んじている。この曲のサビの部分(今、春が来て君は~~、去年よりずっと~~)と、口ずさんでいるのだ。

「なごり雪」は1974年(昭和49)3月、フォークグループ《かぐや姫》の3枚目のアルバム『三階建の詩』(さんかいだてのうた)に収録された。「神田川」でブレイクした《かぐや姫》だったが、リーダーの南こうせつはこのアルバムの印税を3等分すべく、メンバーの伊勢正三、山田パンダの二人に曲作りを課した。アルバムの中の「22才の別れ」「なごり雪」は、伊勢正三の作詞作曲である。この曲を聴いた南こうせつは、伊勢正三の才能に舌を巻いたという。

 イルカは女子美術大学在学時代からフォークソンググループを結成していたが、神部和夫と結婚し夫婦デュオの《シュリークス》を経て、1975年には「あの頃のぼくは」でソロ・デビューした。オーバーオールに野球帽といったボーイッシュな出で立ちの女の子だった。デュオ解散後、二人は「ユイ音楽工房」に入ったが、そこには吉田拓郎、かぐや姫、山本コウタローとウィークエンド、長渕剛などビックアーティスト揃いだった。

 夫の神部はプロデューサーとなって、イルカの売り出しに奔走する。誰かのコンサートの前座などで毎日のように歌わせた。その前後はキャンペーン、レコード店にも必ず挨拶に行き、その場が許せばギター一本で歌った。そうこうしているうちに深夜放送で「イルカ」という存在がだんだん知られてくるようになったが、ヒット曲はなかった。伊勢と旧知だった神部は「なごり雪」をイルカがカバーする話を進めた。しかし、《かぐや姫》のイメージを壊し、ファンを悲しませるような気がしたイルカは「なごり雪」を歌うことを拒んだ。そのうえ、「あの歌は誰が歌ってもヒットする」という業界内の囁きにイルカの心は固く閉ざされたのだった。

「イルカ、あんまり神経質にならなくてもいいよ、この歌が嫌いなら仕方ないけど、好きな歌として歌えば、僕の歌をイルカが歌うのは好きだよ」という伊勢正三のことばで、吹っ切れたイルカだった。

「なごり雪」は、伊勢正三の故郷・大分の津久見駅をイメージして生まれた曲である。2002年には、大林宣彦監督によってこの曲をモチーフにした映画『なごり雪』も制作された。汽車を待っている彼女の横顔から、汽車が走り去っていくわずかな時間のストーリーを、低音の落ち着いた声のイルカが歌うと、一層もの悲しく心に響いてくるのだ。多くの歌手がカバーしているが、イルカの「なごり雪」に勝るものはないように感じる。

 神部和夫の目は確かだったのだ。そして才覚があった。神部はイルカのプロデュースのみならず、何人かの新人を育て、そのための会社もいくつか作り、モデルクラブまで手を広げた。仕事は順調でバブルとともに頂点を極めた。が、好事魔多しとはこのことだろう。左手の薬指に震えが出て、病院を替え何度も検査をした結果、「パーキンソン病」だと判明する。初期の頃は外面的にも人に気づかれることはなかったが、次第に人に会うことも億劫になる。力を入れていた会報「イルカクラブ」も止め、幻覚症状に苦しめられる。ありとあらゆる病院や治療院を訪ね歩いたが完治せざず。一人で身の回りのこともできなくなったとき、紹介された北海道旭川のリハビリ病院に移ったが、2007年3月21日帰らぬ人となった。まだ59歳の若さだった。イルカは、『もうひとりのイルカ物語 なごり雪の季節に旅立った夫へ』の著書で約20年間の闘病生活の様子を綴っている。看病の間もコンサートや曲作り、さらにイルカオフィスの経営まで大変だったようだが、そんな苦労は微塵も感じさせなかったのがイルカの凄いところだと改めて感じた。

 伊勢正三作詞作曲の「海岸通」(79)という曲がある。当時イルカは妊娠8ケ月の安定期にこの曲をカバーしたのである。息子の冬馬くんも歌手になったのだが、最近の音楽番組で冬馬くんとギター片手に「海岸通」を歌う二人の姿を観た。驚いたのは、フラットカラーのブラウスを着たイルカは、デビュー当時よりずっと乙女らしかったのだ。

「イルカは、僕とお前が育てた大切なアーティストだからね」と神部はいつも言っていたという。「なごり雪」は、生みの親が伊勢正三なら、育ての親はイルカだ。そして神部和夫という名プロデューサーの存在がなかったら、ここまで多くの人々に届かなかったかもしれない。

文=黒澤百々子 イラスト=山﨑杉夫

アナログレコードの1分間45回転で、中央の円孔が大きいシングルレコード盤をドーナツ盤と呼んでいた。
昭和の歌謡界では、およそ3か月に1枚の頻度で、人気歌手たちは新曲をリリースしていて、新譜の発売日には、学校帰りなどに必ず近所のレコード店に立ち寄っていた。
お目当ての歌手の名前が記されたインデックスから、一枚ずつレコードをめくっていくのが好きだった。ジャケットを見るのも楽しかった。
1980年代に入り、コンパクトディスク(CD)の開発・普及により、アナログレコードは衰退するが、それでもオリジナル曲への愛着もあり、アナログレコードの愛好者は存在し続けた。
近年、レコード復活の兆しがあり、2021年にはアナログレコード専門店が新規に出店されるなど、レコード人気が再燃している気配がある。
ふと口ずさむ歌は、レコードで聴いていた昔のメロディだ。
ジャケット写真を思い出しながら、「コモレバ・コンピレーション・アルバム」の趣で、懐かしい曲の数々を毎週木曜に1曲ずつご紹介する。

映画は死なず

新着記事

  • 2024.11.21
    「星影のワルツ」「北国の春」という2つの大ヒット曲...

    千昌夫「夕焼け雲」

  • 2024.11.20
    能登の子どもたちや被災者を、美しい音楽で励ましてく...

    被災者に勇気を与えるウイーン・フィルの活動

  • 2024.11.20
    指揮・坂本龍一✕東京フィルハーモニー交響楽団による...

    坂本龍一の伝説のコンサートを映画館で!

  • 2024.11.19
    ベートーヴェン「第九」初演から200周年の記念すべ...

    12月31日特別先行上映、1月3日から1週間限定公開!

  • 2024.11.19
    敷寝具から枕まで世界最大級の熟睡ブランド、〈マニフ...

    特別モデル【エコ サンドロ】限定3000台の予約開始!

  • 2024.11.18
    公募展の発祥地〈東京都美術館〉のテーマは「ノスタル...

    芸術活動を活性化させ、鑑賞の体験を深める

  • 2024.11.18
    女優「高峰秀子」と妻「松山秀子」─日本映画史に燦然...

    高峰秀子という生き方

  • 2024.11.15
    本格イタリアンをご家庭で、日清製粉ウェルナの「青の...

    応募〆切: 12月20日(金)

  • 2024.11.15
    京都のグンゼ博物苑で、昭和の激動時代の魅力を伝える...

    グンゼの創業の地で、「昭和レトロ展」

  • 2024.11.14
    「嵐」と並ぶシングル58曲連続トップテン入りを果た...

    THE ARFEE「メリーアン」

特集 special feature 

わだばゴッホになる ! 板画家・棟方志功の  「芸業」

特集 わだばゴッホになる ! 板画家・棟方志功の 「芸業...

棟方志功の誤解 文=榎本了壱

VIVA! CINEMA 愛すべき映画人たちの大いなる遺産

特集 VIVA! CINEMA 愛すべき映画人たちの大いな...

「逝ける映画人を偲んで2021-2022」文=米谷紳之介

放浪の画家「山下 清の世界」を今。

特集 放浪の画家「山下 清の世界」を今。

「放浪の虫」の因って来たるところ 文=大竹昭子

「名匠・小津安二郎」の生誕120年、没後60年に想う

特集 「名匠・小津安二郎」の生誕120年、没後60年に想う

「いい顔」と「いい顔」が醸す小津映画の後味 文=米谷紳之介

人はなぜ「佐伯祐三」に惹かれるのか

特集 人はなぜ「佐伯祐三」に惹かれるのか

わが母とともに、祐三のパリへ  文=太田治子

ユーミン、半世紀の音楽旅

特集 ユーミン、半世紀の音楽旅

いつもユーミンが流れていた 文=有吉玉青

没後80年、「詩人・萩原朔太郎」を吟遊す 全国縦断、展覧会「萩原朔太郎大全」の旅 

特集 没後80年、「詩人・萩原朔太郎」を吟遊す 全国縦断、...

言葉の素顔とは?「萩原朔太郎大全」の試み。文=萩原朔美

喜劇の人 森繁久彌

特集 喜劇の人 森繁久彌

戦後昭和を元気にした<社長シリーズ>と<駅前シリーズ>

映画俳優 三船敏郎

特集 映画俳優 三船敏郎

戦後映画最大のスター〝世界のミフネ〟

「昭和歌謡アルバム」~プロマイドから流れくる思い出の流行歌 

昭和歌謡 「昭和歌謡アルバム」~プロマイドから流れくる思い出の...

第一弾 天地真理、安達明、久保浩、美樹克彦、あべ静江

故・大林宣彦が書き遺した、『二十四の瞳』の映画監督・木下惠介のこと

特集 故・大林宣彦が書き遺した、『二十四の瞳』の映画監督・...

「つつましく生きる庶民の情感」を映像にした49作品

仲代達矢を映画俳優として確立させた、名匠・小林正樹監督の信念

特集 仲代達矢を映画俳優として確立させた、名匠・小林正樹監...

「人間の條件」「怪談」「切腹」等全22作の根幹とは

挑戦し続ける劇団四季

特集 挑戦し続ける劇団四季

時代を先取りする日本エンタテインメント界のトップランナー

御存知! 東映時代劇

特集 御存知! 東映時代劇

みんなが拍手を送った勧善懲悪劇 

寅さんがいる風景

特集 寅さんがいる風景

やっぱり庶民のヒーローが懐かしい

アート界のレジェンド 横尾忠則の仕事

特集 アート界のレジェンド 横尾忠則の仕事

60年以上にわたる創造の全貌

東京日本橋浜町 明治座

特集 東京日本橋浜町 明治座

江戸薫る 芝居小屋の風情を今に

「芸術座」という血統

特集 「芸術座」という血統

シアタークリエへ

「花椿」の贈り物

特集 「花椿」の贈り物

リッチにスマートに、そしてモダンに

俳優たちの聖地「帝国劇場」

特集 俳優たちの聖地「帝国劇場」

演劇史に残る数々の名作生んだ百年のロマン 文=山川静夫

秋山庄太郎 魅せられし「役者」の貌

特集 秋山庄太郎 魅せられし「役者」の貌

役柄と素顔のはざまで

秋山庄太郎ポートレートの美学

特集 秋山庄太郎ポートレートの美学

美しきをより美しく

久世光彦のテレビ

特集 久世光彦のテレビ

昭和の匂いを愛し、 テレビと遊んだ男

加山雄三80歳、未だ青春

特集 加山雄三80歳、未だ青春

4年前、初めて人生を激白した若大将

昭和は遠くなりにけり

特集 昭和は遠くなりにけり

北島寛の写真で蘇る団塊世代の子どもたち

西城秀樹 青春のアルバム

特集 西城秀樹 青春のアルバム

スタジアムが似合う男とともに過ごした時間

「舟木一夫」という青春

特集 「舟木一夫」という青春

「高校三年生」から 55年目の「大石内蔵助」へ

川喜多長政 &かしこ映画の青春

特集 川喜多長政 &かしこ映画の青春

国際的映画人のたたずまい

ある夫婦の肖像、新藤兼人と乙羽信子

特集 ある夫婦の肖像、新藤兼人と乙羽信子

監督と女優の二人三脚の映画人生

中原淳一的なる「美」の深遠

特集 中原淳一的なる「美」の深遠

昭和の少女たちを憧れさせた中原淳一の世界

向田邦子の散歩道

特集 向田邦子の散歩道

「昭和の姉」とすごした風景

あの人この人の、生前整理archives

あの人この人の、生前整理archives
読者の声
Social media & sharing icons powered by UltimatelySocial
error: Content is protected !!