23.04.27 update

【わが昭和歌謡はドーナツ盤】テレサ・テンの「別れの予感」を聴きながら、恋する女心を歌い続けた彼女自身の数奇な運命を思う

 日本のデビューは1973年、ポリドール・レコードからだった。アイドル路線のデビューは失敗に終わったが、路線変更した2作目の「空港」が大ヒット。74年度のレコード大賞新人賞を受賞した。しかし、台湾やアジアを行き来して活動していたテレサは、79年インドネシアのパスポートで来日したときに、旅券法違反で国外退去処分を受ける。72年の日中国交正常化の影響で、日本は中華人民共和国を国家と承認し、中華民国(台湾)とは国交を断絶していたためインドネシアのパスポートで入国を図ろうとしたのだ。台湾のパスポートでは煩雑な手続きが必要だったためだ。パスポート自体はインドネシア政府の正式なものだったが、中国、台湾、日本の外交関係による犠牲者の一人だった。それから約5年、日本での活動は断絶を余儀なくされ、米国のコンサートツアー、台湾、香港で活動を続け、〝華人歌星〟と言われる大スターになっていく。台湾では、軍の慰問公演を続けた。日本では音楽ファンの強い要望もあり、84年、トーラスレコードに移籍し再デビューを果たす。

 80年代テレサの歌声は、中国本土の人々の心も震わせた。中国本土にも彼女のカセットテープがあふれた。当時の鄧小平は、革命の意欲を削ぐとしてテレサの歌を聴くことを禁止したのだ。「両親の生まれた中国本土で、コンサートをやりたい」という夢は、天安門事件が起きて、叶わぬ夢となった。アジアの歌姫は歴史に翻弄された数奇な運命を辿ったと言っても過言ではないだろう。

 是枝裕和監督の『海よりもまだ深く』(2016)という映画がある。阿部寛が売れない小説家を演じ、樹木希林が母親役だ。主人公は小説のネタ探しだと言いながら、探偵をしてお金を稼いでいる。妻(真木よう子)とも別れ、一人息子の養育費もままならず、母親からお金を借りようと家に帰ってくる。母親は、質屋通いをする甲斐性のない生前の夫に手を焼いた。母と息子がたわいもない会話をしていると、ラジオからテレサ・テンの「別れの予感」が流れてくるのだ。樹木が「私は海よりも深く人を好きになったことなんて、この歳までないけどさ」とつぶやく。そして、「幸せってのはね、何かをあきらめないと手にできないものなのよ」と言うのだ。まさしく、テレサ・テンの人生だ。

 テレサ・テンは、婚約発表をしたが結婚に至らなかった男性がいた。名門一家の祖母から歌手をやめることを強制されたため、結婚をあきらめたのだ。アジアの歌姫という名誉は、同時に手にできないものも大きかった。テレサの死は世界中で報じられ、中国でも主要新聞が一面で報じ、北京大学でも追悼する看板が立てられた。台北で執り行われた国葬には、世界各国から3万人ものファンが詰めかけたという。

 アジアの歌姫、テレサ・テンは唯一無二の存在として、私たちの心に生き続けている。

文=黒澤百々子 イラスト:山﨑杉夫

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映画は死なず

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