シングル11曲目の「思秋期」は、77年9月5日のリリースで、作詞・阿久悠、作曲・三木たかしのコンビで作られた。それまでのアップテンポの曲から大人のバラード調の曲で、18歳の乙女の心情を憎いまでに表現している。「思秋期」の詞は高校を卒業したばかりで18歳の岩崎にとっては、その詞が自らの心情にそのまま重なった。レコーディングでは、感極まり泣いて歌えなくなり何度もやり直したことは知られている。そこには、阿久悠も三木たかしも立ち会っていた。当時ビクターのディレクターだった飯田久彦もそこにいた。「阿久さんも泣いていた。阿久さんの涙を見たのは最初で最後のことだった」と後日インタビューで語っている。
「僕は岩崎宏美をどうやって成人させるか、いつも考えていたんだよ」と亡くなる数カ月前にラジオ番組で岩崎に語った。まさに、「思秋期」で、阿久悠は、岩崎を成人させたのだ。それだけに岩崎にとっても転機になった曲だ。厳格な父親も認めてくれたという。
筆者も数ある岩崎の曲の中でも一番好きな曲だ。初めて聴いた当時は思春期だったが、人生の思秋期になって、今聴く「思秋期」は、イントロを耳にしただけで、気持ちが高ぶり涙腺が緩んでしまう。〝誰も彼も 通り過ぎて 二度とここへ来ない 青春は忘れもの 過ぎてから気が付く……〟 心に沁みる歌詞と、歌唱はやはり昭和歌謡を代表する曲だと改めて感じる。金木犀の甘い香りに誘われ街をフラフラしていると秋の日は短くつるべ落としのように日が沈んで長い夜がはじまる。そんなときしんみりと聴きたくなる曲の一つだ。
「思秋期は」、第19回日本レコード大賞・歌唱賞、第8回日本歌謡大賞・放送音楽賞も受賞した。そろそろ自分の手を離れる時期じゃないかと阿久悠は思ったのかもしれない。14枚目のシングル「シンデレラ・ハネムーン」は作曲家の筒美京平コンビのものだったが、15枚目のシングル「さよならの挽歌」(78)は阿木燿子の作詞、続く「春おぼろ」(79)は山上路夫作詞だ。「女優」(80)は作詞・なかにし礼と、1作ごとに作詞家を替えながら、筒美京平が作曲。20代を迎えた岩崎のプロデューサー的な役割を果たした。
その後、81年9月放送開始の日本テレビ系「火曜サスペンス劇場」のエンディング曲がの岩崎の代表曲にもなった。作詞・山川啓介、作曲・木森敏之、John Scottの「聖母たちのララバイ」では、慈愛に満ちた歌詞とメロディーが特徴で、岩崎の歌唱力にさらに磨きがかかったように感じる。「家路」「橋」「25時の愛の歌」「夜のてのひら」と続き、「火サスの曲」といえば、岩崎宏美というイメージが定着した。
79年には、『ロック・ミュージカル ハムレット』でミュージカルデビューを果たした。さらに近年では、新御三家の野口五郎とデュエット・シングル「好きだなんて言えなかった」をリリース。翌年22年もコラボアルバム『Eternal Voices』 をリリースした。
作詞家・阿久悠、作曲家・筒美京平らが育てた歌手・岩崎宏美は昭和を代表する歌手であり、忘れられない名曲の数々を遺している。円熟期を迎えた、岩崎宏美のこれからも楽しみだ。
文=黒澤百々子 イラスト=山﨑杉夫