札幌で冬季オリンピックが開催された1972年を振り返ってみると、1月にはグアムで残留日本兵の横井庄一さんが発見され帰国した。2月のオリンピックでは、ノーマルヒルで笠谷幸生が圧倒的な強さで優勝し、金野昭次が銀メダル、青池清二が銅メダルを獲得。初めて日本人が表彰台を独占するという快挙に日本中が沸いた。そんな明るい出来事を覆すような「あさま山荘事件」がオリンピックの終了後まもなく起きた。極寒の中、過激派グループ赤軍派残党メンバー5人が、管理人の妻を人質にして立てこもるという衝撃的な事件だった。5月には米国から返還され「沖縄県」が誕生。7月田中角栄内閣が発足し、9月には中国との国交正常化の調印がされた。そして2頭のパンダ(カンカンとランラン)が来日し、11月5日に上野動物園で初めて一般公開されると、パンダは一大ブームになった。明と暗が交錯しながら1972年は、長かった「戦争」に終止符が打たれた年であったと言ってよいのではないだろうか。
トワ・エ・モアが活躍していた頃、男女のデュエットグループには、「ヒデとロザンナ」「チェリッシュ」などがいた。どちらも歌唱力もあったが、仲のよいことが売り物で後に結婚することになる。ところが、トワ・エ・モアは歌仲間という感じでとてもクールだった。二人は自分たちの意思とは別なところで段取りが進み、あれよあれよという間にヒットチャートを駆けあがっていったが、それが反対に二人には不満だったのかもしれない。残念ながら1973年6月に解散。実生活で二人はそれぞれ「メイツ」で知り合った別の異性と結婚した。その後、白鳥は保育学校に入学し音楽から離れた時期もあったが、現在もソロ歌手として活動をしている。芥川はレコード会社「ファンハウス」の設立に参加し、岡村孝子、杉田二郎らのプロデュースを手掛けた。解散から25年を経て、「虹と雪のバラード ‘98ヴァージョン」がCD化された。長野オリンピック開催関連のテレビ番組で久々に聴いたが、熟成したワインのような深みがあり、二人の醸し出す雰囲気は変わらず爽やかだった。
昨年、2030年のオリンピック招致を札幌市は断念した。先の「東京オリンピック2020」における重なる不祥事と、平和の祭典ではなく商業主義に走り過ぎたことに起因していると思われる。世界が平和であり、その中でスポーツマンシップが競われ、大会を盛り上げるには音楽の果たす役割は大きい。もし再び札幌でオリンピックが開催されることがあれば、「虹と雪のバラード」のようにいつまでも歌い継がれる名曲が生まれることを願ってやまない。
文=黒澤百々子 イラスト=山﨑杉夫